ここはクソみたいなインターネッツですね

逆にクソじゃないインターネッツってどこ

プライベートと両立出来る仕事です!とかいうやつ

プライベートへの侵食を両立と表現するな

最近転職サイトをよく見ている。割と無理な条件を吹っかけているにもかかわらず、いくらかの企業がオファーをくれている。

「プライベートと両立出来る仕事です」

会社紹介の欄によく書かれている文言だ。そういう会社に限って、社内交流チケットを配布しているだの土日にフットサルがあるだの家族ぐるみの付き合いが多いだのという、僕からすれば思わずウッとなってしまう恐ろしい制度や環境を推している。

特に会社の行事を推してくる企業に関して、脊髄反射的に鳥肌が立つほどの拒絶反応が出てしまう。 うさんくさいというか、宗教くさいというか、少なくともそういうところに積極的に参加して最高に楽しんでいるような人とは友達になれなそう。僕が最近はやりの陰キャということもあるのだろうが、しかしどうしても僕にはそれらのことは会社の行事であってプライベートのことではないように思えるし、何より両立と侵食を同じような意味で使っている感じがしてなにか悪意を感じる。

僕が思うプライベートと両立できる仕事というのは、残業が少なく朝出社が早く夜退勤が早い仕事である。現在は10〜19時(基本22時以降)の会社に勤めているが、本当にプライベートとの両立が難しいと感じている。

何か勉強しようとか映画を観ようとか、そういったことをしたいのに、飯食って風呂入って洗濯したらもう1時だ。結構多くの人がこんな感じなんだと思う。

そんな多くの人が、例に挙げたような土日にフットサルがあるというような話を見たらどう思うだろう。強制であるにせよないにせよ、第一印象としては嫌悪感を抱く人の方が多いのではないだろうか。そんなことをアピールするのならば、

土日は完全に休みにするので家族との時間を大切にしてください

と書いてある方がよっぽど印象が良い。会社の人と本当にプライベートな関係を築けている人なんて、よっぽどの根明かよっぽど学生時代の友人を持っていないかのどちらかだろうと根暗な僕は考えてしまう。

バイト募集のフリーペーパーを見ていた頃から思っていたけれども、そもそもなんで求人ってあんなにうさんくさいんだろう。年収例で三年目歩合給2000万って出してる求人、普通に考えればまともな人が入ってくる訳ないだろ、と思う。普通ではないことをさもそれが平均かのように書いたり、大して力の入れてもいない福利厚生だとか教育制度だとかを大げさにアピールしたり、なんでそんなにお互いが不幸になるようなことをするんだろうか。逆に、すごく大変だけどやりがいがある仕事だ、という紹介文もどうかなと思う。業務量過多をやりがいとかいうフワッとした言葉で隠しているのではと疑ってしまう。

ありのままの現実をありのまま書いて、納得してもらった上で人が入ってきた方がいいに決まってるのに、他のところよりよく見せようよく見せようとバカみたいな競争してさ、結局入社してからのギャップでやめていくんだろう。

1年後、3年後、5年後どうなっていたいですか?という質問

いや逆に聞きますけど5年前のあなたは僕にその質問をしていたかったんですか?って感じ

子供の頃からなんとなしに、大人は未来の話をするのが大好きだなあと思っていた。

大人になった今でも常々それは感じている。評価面談の場における掲題のような質問といい、なんで大人って"自分がどうなりたいか、どうありたいかを考えて逆算で行動しよう"みたいな話が好きなんだろう。

毎日毎日当たり前のように残業をして、みなし残業だから給与も大して増えずに疲労だけ溜まっていくような生活。 少なくとも3秒前までの俺はなんでこんなことしているんだろう、ということを考えていたよ。けれども数秒経った今では、この文章の落とし所を考えている。今のところの人生ってこんな状況の連続で、うわーどうしようかなって思っている間に大抵のことはもう選択するタイミングを逃して良くも悪くもどうにかなっちゃってきた。

例えば今月のノルマを達成できたとして、何が変わるんだろう。 もらえるお金が少し増えて、自分の評価が上がるだろう。けれどもそれで、来月もノルマを追っていくという状況に対して、何をもたらせるんだろう。多少評価が上がって多少賃金が上がって多少次の転職が有利になって、結局やることはサラリーマンなんだろうか。

やればやるほど後が楽になっていくというのなら、やらなければやらないほど後が辛くなっていくというのなら、総量はそんなに変わんねえんじゃねえかな。

基本的に今日で仕事をやめよう、と毎日思っている。明日もきっとそう思うんだろうけれども、明後日はわからない。来年なんてもっとわからない。そのときやりたいことをやっていたいぜ。

なんとなく大学生くらいから思っていたことがある。人間には二種類いるんじゃないかということ。 週末のビール一杯を糧に毎日頑張ろうと思える人と、なんでこんなことやってんだと思いながらもなんとなくそれはそれでそれなりの生活と幸福を見出しちゃったりする人。

今の社会では前者が普通だし、生物として愛されるべき人間だと思う。ただ後者は後者でありがちな話である。僕は基本的には後者寄りであると思っているし、ビールもあまり好きではないから、毎日なんとなくこうして生きていったらそれなりに目標みたいなのが出てきてそれなりな毎日も悪くねえなとか思い始めちゃうんだろうな、とも思っていた。

しかしそれは今の所達成されていないと言える。目標もないし、毎日"今日こそが人生最悪の日"だと思い続けている。

後者のタイプの人間の内、それでもこぼれ落ちてしまう一握りの人種がいるのかもしれない。いわゆるクズ人間。多分僕はそれになるんだろう。過去の自分のせいにするようで非常に申し訳ないことではあるが、きっと僕自身が子供の頃に夢を持てなかったのが大きな原因になると思う。

今はタバコが吸いたい。1秒後には、きっと僕がやりたいことはトイレに行くことになっている。3秒前はそんなことこれっぽっちも思っていなかったのに。こんな風に、やりたいことなんてすぐ移り変わっていってしまう。5年後どうなっていたいかなんてさ、意味ないよ。

どうにも僕には、その"逆算"の発想から本当のことばが出てくるようには思えない。むしろそのことばに寄り添うようなことを本当ということにして、これからもきっと惰性で続いていく"それなり"を、"理想に近づいているんだ"ということにして正当化しようとしているだけなんじゃないだろうか。

"本当になりたいんだったら、そうなるべく努力しろ"みたいな話なんてクソほど聞いてきたし、本当にその通りだと思うよ。 しかしさ、5年後どうなっていたいですか?とか改めて問われて何かを考える機会にしているような奴がだよ。その場でちょっとだけ真面目に考えたことを、"これは俺の本当のことばだ"と思い込むことって正しいことなのかな。そんな風に思わせちゃうのって、いいことなのかな。

働いてるやつは言うよ、働きたくないと。働いてないやつは言うよ、働きたいと。なんだかんだ、人間はないものねだりでグルグル回るだけなんだろうなって僕はそれなりの時間生きてきて感じたよ。5年後大金持ちのニートになりたいと僕が考えたとして、もしそれを2年で達成してしまったら、また違う形の目標を置いてぐるぐる意味もわからず回っているだけだよ。

1年後、3年後、5年後のことはわからない。そのときに思う幸せの形を、そのとき取れる手段で実現していれば良い。今思う幸せの形が、3年後の僕の幸せだとは限らない。足枷になったり、今の自分が感じたい達成感を未来の自分に押し付けているだけになってしまう気がする。

僕は何もしたくない。1年後、3年後、5年後のことはわからない。けれど少なくとも今は、僕は何もしたくない。僕なりの本当のことばはこれに尽きる。

5年後どうなっていたいかとか、そういう意味のない質問を軽々しく投げることはやめたほうがいい。 みんなそんな生き急ぐなよ、と僕は思う。そりゃあ一瞬は答えを出した気になるかもしれないけれども、おおよそ大した答えになんてなっていないし、なりたいものややりたいことを嘘にまみれさせてくだらなくさせていくだけな気がするから。

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第2弾「5年後の自分へ」
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/hatenablog-5th-anniversary

働きすぎ問題について

働く時間を考える

ついこの間から電通の過労死問題が大きなニュースとなっている。このようなことが起こると、しばしば"日本人は働きすぎ"という話と、日本の祝祭日は世界でも多い方であり"勤勉な日本人はイメージであり最早実体はない"とする話が溢れかえる。

本当のところ、それってどうなんだろうか。僕なりに計算をしてみた。

vorkersという会社が、日本人の残業時間についての記事を挙げている。

これにによれば、日本人の平均残業時間は月47時間だという。これを単純計算で12倍して1年にすると564時間。

この時点で既にかなり多いような気がするが、イマイチ実感が湧かないのでもっと現実味のある数値に落とす。

564時間をそのまま24で割って日数にすると、23日とすこしになる。

さらにその23日を法定労働時間の8hで割ると約70日。残業時間だけを見ても、日本人は70日を労働に費やしていることになる。

一般的な会社の年間休日は80〜125日くらいかと思う。間をとって仮に100日とすると、その内の70日分は残業時間で相殺される。ともすれば、日本人は一年に30日しか休まない計算になる。 つまり、数値上平均的な日本人は、1年の内11ヶ月は働いているということになる。

最低8時間を労働に捧げる日を"働く日"と定義するならば、365日の内、335日を"働く日"にしているのが日本人と言える。

では、現実味のある、実際の1日の労働時間を見てみよう。

法定労働時間8時間+(47時間÷20日)=10.35時間

となる。

とはいえ、これは労働時間にすぎない。通常の勤務における労働以外の拘束時間を考えると、通勤+帰路、朝早めに出ることを加味した場合の合計2時間、法定通り行くとお昼休みがあるはずなので、そこに1時間が足される。

以上のことから、おおよそ13.35時間の拘束を1日あたり受けていると言えるであろう。

1日の他の内訳を考えると、睡眠時間が8時間として21.35時間、風呂食事家事の時間を1.5時間とすると22.85時間。残りは1時間ほどとなる。人によっては8時間は寝過ぎだというだろうから、6時間にしても3時程しか余らない。 会社から帰ってきて、だらだらしながら映画を1本でも見たら1日が終わる。これがごく平均的な労働者にとっての平日と言える。

僕は他国のことは知らないが、知るまでもないんじゃないだろうかと思う。すくなくとも僕には、日本人は異常に働いているように見える。

週の5/7を平日とすると、労働者にとって一週間における平日の自由時間とは多く見積もって15時間しかない。

業務のための勉強や、翌日の仕事の準備、次のプレゼンをどうしようと悩む時間などを仕事と数えないでこれなのだから、なんとまあ頭のおかしな状況だ。

睡眠8時間+風呂食事家事と移動の時間を除けば土日の自由時間は12時間×2日というところだろうか。

仕事とプライベート、という言葉があるけれども、僕らのプライベートは週に平日15時間+土日24時間の39時間程度しかない。仕事は上の計算でいうと13.35時間×5日の66時間ちょっととなるから、僕らは大体3分の2、仕事に今の人生を捧げていると言える。

あの人には仕事しかない、という悲惨なセリフがあるけれども、あながちドラマの中だけの話でもない。冗談でもなんでもなく、本当にそんな感じなのが平均的な日本人っぽい。

5,4,3,5

この数字がなにに見えるだろう。これは僕が今月した残業時間の今のところの推移だ。これを見る限り、僕は今月、平均より多く人生を仕事に捧げているようである。 こういうことを書くと、俺はもっと多いぜ、というふうに多くの人が残業自慢をするけれども、あの人達もあながちふざけていたり誇張しているわけではないのかもしれない。

日本人は働きすぎで、過労自殺するほど思い詰めていて、そして自分の人生を充分に顧りみれていないというのがリアルなところなのかもしれない。

エンジニアの心の健康とストレスについて - 考察と幾つかのidea -

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この記事について

目的

  • ストレスの相互理解による健康的な宇宙の創造

手段

  • 手始めに、エンジニア(僕)が感じるストレスの分析

発展

  • 他職種のストレス分析

デザイナーが一番ストレスに感じることとは何か。

僕らはこの質問に答えられるだろうか。

  • 好きなデザインをさせてもらえない
  • デザインの重要性を理解しない上司が多い
  • 具体的な課題を設定せず「こんな感じで作って」といわれる

こんなものなのかな、とそれらしい想像をすることはできる。

自分が一番考えて作ったUI案ではなく、 適当に5分で作った案が採用しばしば採用される。 僕はそれが一番ストレスかな。 - by とある社内UIデザイナー

あの職種の人の一番のストレスってなんなんだろう。

こういうのって、想像はできても本人の言葉で聞く機会って意外とないよね。

という立ち位置からの話。

目次

  1. 裏切り発見モジュール
  2. まなざしの地獄
  3. エンジニア同士のよい関わり方
  4. エンジニア以外とのよい関わり方

1. 裏切り発見モジュール

進化心理学という学問での仮説に、 “心のモジュール性”という言葉がある。

心が特定の機能を果たすために 個別の生得的な構造を基盤に持ち、 それぞれが進化的に発達したという概念である。

つまり、心にもライブラリやモジュールがあるのではないか、という話だ。

ウェイソンの4枚カード問題

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この問題を解くことができるだろうか。

論理的思考が得意な人にとってはさほど難しい問題ではないかもしれない。

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では、この問題はどうか。

1問目の答え:A,7

2問目の答え:酒,17

実は、この問題は全く同じ論理の問題構造となっている。

にもかかわらず、2問目の正答率が圧倒的に高いという実験結果がある。

この結果を受けた仮説に、以下のようなものがある。

常識/倫理観や、ときには損得勘定が 高い論理的思考力を引き出すトリガーとなっているのではないか。

少々誇張してこれをわかりやすくいうと、

人間は、裏切りものを発見する際裏切り発見モジュールによって高い能力を発揮するのではないか。

というものだ。

この仮説が正であるとすると、人間は裏切りに対し高い”能力”を発揮するという。では、感情はどうか。

やはり強い感情を持つのだろうか。

エンジニアである僕らが強い感情を向けられるのって、いつのことだろうか。

会社におけるエンジニアの”裏切り”とは何か。

責務を放棄することなのか、バグを起こすことなのか。

そもそもエンジニアの責務って、一体なんなのだろうか。

2. まなざしの地獄

僕らの責務は、バグを起こさないことなのだろうか。

以下は、僕がよく経験する業務上関係三者の言い分だ。

先輩エンジニア

バグを起こすのはしょうがない。 次に繋げられれば問題ない。

事業部門担当者

なぜバグが無くならないんだ。 正常に動くのが当然のはずだろう。 あいつはダメなんじゃないか。

エンジニア本人

なぜバグを起こしてしまったんだろう。 なぜこうも責められるんだろう。 普段既存のバグを修正している成果は、 見られてもいないのだろうか。


この歪な関係の根源は、以下のような考え方の違いによるものだと僕は考える。

エンジニアの考え:

仕様通りに動くよう頑張ろう。
バグを起こさないように頑張ろう。
ついでに他のバグを直しておこう。

エンジニア以外の考え:

仕様通りに動くのは当然だと思う。
バグを出すエンジニアはダメそう。
余計なことをして工数を伸ばさないで。

さらに突き詰めていけば、

  • 当然に期待されているもの
  • 評価される(する)もの

の2点において双方にギャップがあると予想できる。 このギャップこそが双方にとってのdisコミュニケーションを生じさせているのではないだろうか。

当初の目的を振り返って、僕が本人の言葉でストレスの原因を語るのならば。

見て欲しいところは見てもらえない。
見逃して欲しいたった一つのバグで、
信頼が失われていくのが目に見える。

ということになる。

この状況を僕は"まなざしの地獄"と名付けたい。

僕らの責務は、バグを起こさないことなのだろうか。

バグが起きることは即ち、僕らの責任なのだろうか。

責任、という単語が出てきたところで、考察はここまでとする。

次章以降は僕の実体験に基づく経験談を話したい。

3. エンジニア同士のよい関わり方

エンジニア特有の文化に、コードレビューというものがある。

コードレビューとは?

誰かが書いたプログラムを、
チームみんなでレビューをすること。
僕のチームでは、
レビューを通らないプログラムは、
誰が書こうが原則リリースされない。

この文化は本当にいい文化である。

今一度、このコードレビューという文化が持つ機能を整理したい。

コードレビュー4機能

  1. コード品質の向上(維持)
  2. 業務の相互理解
  3. 責任の分散
  4. サービス(チーム)への帰属意識向上
1. コード品質の向上(維持)

コード品質の向上(維持)といっても、実はここにも二つの意味がある。

  • コードそのものの品質向上
  • チームとしてのコーディング力底上げ(均一化)

コードそのものの品質向上

これはいうまでもないが、汚いコード、次に改修をかける際に不具合を招きそうなコードは指摘を受ける。

汚いコードはリリースされない。

チームとしてのコーディング力底上げ(均一化)

指摘とリファクタリングを繰り返すことにより、"この場合はこう書いたほうがいいんだな"というチーム内認識が共有される。

時にはレビュアー同士で議論が巻き起こる。

何が良いコードで何が悪いコードなのか、各々が自身の考えを持つ時間が得られる。

これを繰り返すことによって、チームのコーディング力が底上げされ、ある程度均一化される。

大切にする思想は人それぞれにせよ、確固たる"こだわり"を持って書かれたコードは全ていいコードだ。

僕はそう考えている。

2. 業務の相互理解

チーム内でも、誰が何をやっているのかそこまで把握していない状況はよくあると思う。

朝会や日報報告をやっていたとしても、それが何のための機能なのか、どんな仕様なのかまでは知り得ない。

そこで便利なものがプログラミング言語だ。

エンジニア同士では、日本語で説明するよりも書いたプログラムを見せる方が話が早く終わることが多く、

コードを読めばある程度の仕様は把握できる。

ああ、この人はこういう機能を作っているのか、こういった仕様で、こういった目的のものなのか。

以上の情報共有作用があることによって、コードレビューをすることでエンジニア同士のコミュニケーション不足や不満(あいつ何やってんだ感)が解消される。

3. 責任の分散

この責任の分散こそ、コードレビュー4機能において最も重要な機能だと僕は考えている。

レビューをして、承認するということは即ち、コードの保証人になるということ。

これによって、バグがあっても、その責任は個人ではなくチームのものとなる。

バグを起きた時に、人を責めることも他人事でいることもできなくなるシステムだ。

何も、不具合や不祥事を起こして会社に不利益をもたらすことなどエンジニアだけの話ではない。

しかし、システム障害というものは非常にやっかいだ。

他の業種よりも遥かに、大きな欠損を引き起こしやすいと言える。

新卒のよくわかっていない段階でも現状のそれなりに仕事を任されるようになった段階でもその状況は変わらない。

僕自身も数時間分の欠損を出したことがあるし、その際は死にたくてたまらなかった。

その欠損をエンジニア個人の責任にするには日本におけるエンジニアの給与は安すぎるし、何よりそんな仕事をさせていると辞められてしまう。

互いに互いを守る手段、として互いに責任を保持する文化、とても効率的でやさしい機能だ。コードレビューは美しい。

4. サービス(チーム)への帰属意識向上

これもまた重要な機能である。

就活生にエンジニアというと、"言われたことをやるだけのやりがいがない仕事"だとか、”個人プレー”だとか思われることがあるが、決してそんなことはない。むしろその逆で、自分から業務の効率化や売り上げ増加に向けた企画を考え実行していくことが当然求められるし、個人よりもチームを重視して動くことの方が遥かに多い。

エンジニアのチーム作りに関しては様々な書籍が出ている。googleマイクロソフト、アップル、はてなクックパッドなどエンジニアの強い会社で培われてきたチームビルディングのノウハウはエンジニアならば誰もが興味を抱くものであり、そのあたりの本もよく売れている。実際僕も僕の上司も何冊かチームビルディングの本を読みいくつかのテクニックを実践している。

話をコードレビューに戻すが、責任の分散によって一人一人がサービスの広い範囲に責任を持つ構図ができることは先述した。 責任の分散がもたらすものは文字通りのものだけというわけではなく、チームへの帰属意識向上という側面がある。責任を持つということは、評価を得るということ。売上に大きく貢献した機能は、誤解を恐れずに言えばレビューを行った全員の手柄であるのが当然のことなのだ。

開発を進め、レビューを繰り返し、サービスのいたるところに自身の責任を置くことはすなわち、サービス全体を自分の仕事領域と意識させることである。サービスを愛しているか否かは別として、自分の仕事が何なのかはっきりと認識できることはモチベーションに大きく影響を与える。僕のチームではメインエンジニアはいない。一応組織的に僕がリーダー的な立場をとることもあるが、全員が全員メインエンジニアであると僕は正しく認識している。誰もが自分のサービスに責任をもち、自分のサービスを自身の評価と直結されることを認識している。

こんないいチームが作れているのは、コードレビューのおかげだと今はっきり感じている。

何かあったらみんなのせい、何もなければみんなの手柄

この意識を持ったチームを作ることこそ、エンジニア同士のよい関わり方である。

4. エンジニア以外とのよい関わり方

  1. "裏切り者"ではなく"共犯者"となる
  2. 互いの責務の線引きをはっきりする
  3. 要件のさらに前、要求定義をじっくりする
1. "裏切り者"ではなく"共犯者"となる

これはコードレビューにおける"責任の分散"にヒントを得た考え方だ。

最も効果的なやり方としては、エンジニアだけで要求定義、要件定義、リリース前テスト、リリース後テストをしないということである。

全ての段階でコンセンサスをじっくりとること。

"そんな感じでいいよ"というような曖昧な合意ではなく、"これでいきましょう"という強い合意を得ることが何よりも大切である。

要件漏れやテスト漏れがあればバグは起こる。

バグは、何をしても起きる時は起きる。

バグが起きた時に自身ばかり責められるのが嫌なのであれば、互いの責任となる状況を作るべきだ。

他人を責めるのではなく、共犯者と"ここがいけなかったね、次からはこうしよう"と話合えることの方が遥かに建設的な仕事と言える。

2. 互いの責務の線引きをはっきりする

ヤマアラシのジレンマという言葉を知っているだろうか。

寒さを感じているヤマアラシは、自身を守るトゲが邪魔をして他のヤマアラシと身体を温め合うことができない。

結局トゲが刺さらないギリギリの距離に近づくことしかできない。

という話である。

エンジニア以外との関わり方もこれに似たものがあって、

互いを突き放すでもなく、かつ近づきすぎない、ある程度の距離を保つことが重要と言える。

ここからここまでは私がやります、ここから先はあなたが。とあらかじめ互いの責任を明示すべきである。

相手がその責任を果たしていない場合は正当性をもって意見しよう。

代わりに自身が責任を果たせていない場合はなぜ果たせなかったのかを分析反省し、改善に向けての行動を素直に行おう。

馴れ合いも敵対も避け、ドライな関係を保つことが大切ということである。

要件の前に、要求定義をじっくりする。

エンジニア以外には、基本プログラムの話は通じない。

そのため、‘何がしたいか’等低次元から相互のことを理解することが重要である。

プログラムの動作については相手は知らないし、

必要としている機能やビジネスとしての動きについては相手の方が基本的に詳しい。

互いにリテラシーによる齟齬を避けるためには、何が欲しいのか、どうして欲しいのか、丁寧な要求定義が必要だ。

エンジニア以外とのよい関わり方

仲良くなって
仲良くなりすぎないで
ある程度甘えて
あまり甘やかさないで
お互いを理解して

エンジニアといっても実際の業務内容や環境が幅広く、

僕が感じているストレスをエンジニア全員が抱えるストレス、と言い切ることはしたくない。

しかし、それなりの数のエンジニアが似たようなことを感じているのではないかと思う。

人間は欲求不満な生き物で、きっとどれだけ生活や自身や環境を改善してもないものねだりをしてしまうのだと思う。

けれども、今一緒に働いている人間がどういったことを不満に思っていて、それはどういった構造が原因となっているのか。

それを知るきっかけを作ることや、翻って自身について考えてみよう、とする姿勢はとても素敵なことに思う。

本投稿は"ストレスの相互理解による健康的な宇宙の創造"を目的にしていると冒頭に書いた通り、自分の辛さを理解してもらうことや、相手の辛さを理解しようと試みることによって、より働きやすく生きやすい世の中になっていってくれればいいと僕は思う。

労働なんてね、基本的に辛いもんだよ。みんながみんなね。

最速で激やせする方法

最速で激やせする方法

今週だけで会社を二日も休んじまった。 休んだのに深夜に緊急対応させられるし、これ出勤だったことにしてくれねえかな。まじで。

夏風邪とそれに伴う脱水症状でダウンしたのだが、おかげで体重がちょっとだけ落ちた。これはいい機会ということで、脱水には気をつけつつ断食ダイエットを敢行している。

俺は昔から10kg太っては10kg痩せて、というようなことを繰り返している。早10年ほどか、そういった意味で俺はダイエットのプロフェッショナルと言えるだろう。そんな俺は、結局のところ断食と糖質制限とカロリー制限の併用が最強のダイエットだと確信している。

いやお前それって何回もリバウンドしてんじゃねえの、という指摘はもっともだ。しかし考えてもみてほしい。"痩せたい"と思う人間なんて、基本的に余裕のないものだ。"健康的長期的にリバウンドなく痩せたい"と望めるような人は、せいぜい標準体重付近をうろついている余裕のある人だ。そんなん運動すりゃいいだろう。一月で3kg落とすダイエットとかよく雑誌なんかに書いてあるが、それができる人は才能があると思う。長い期間ちょっとずつ努力とか無理なんですよね。一瞬超辛いけどすぐ結果でるぜ、みたいなほうが楽。俺みたいな人、結構多いと思う。

俺の場合は大体気を抜いている期間に平均体重+5~10kg程度の脂肪を溜め込んでしまっていることが多いから、痩せたい時は一刻も早く痩せたい。体調を崩すだとか、基礎代謝が落ちて太りやすい身体になるとか、そんなことはどうでもいい。いくら不健康になってもいいから、今この瞬間から一秒でも早く1gでも多く痩せたいというのがまごうことなき本心なのだ。 その場合の最善の選択肢は、先述した通り断食と糖質制限とカロリー制限の併用で間違いない。

どうやるのそれ

答え:できるだけ何も食わない

基本的にこれしかない。運動するのは面倒だし、低炭水化物の料理を作るのも面倒だ。ならば食わなければいい。入れるより出す方が多いなら痩せる、と知り合いの栄養士が言っていた。その通りだ。多少筋肉が増えたところで基礎代謝の1500kcalが倍増するとかそんなことはないらしい。筋肉はどれだけ頑張っても一年に3~5kg程度しか増えないし、3~5kg増えたとしても基礎代謝が爆発的に上がるわけでもない。維持するために筋トレしないといけないしね。ならば、短期的に痩せたい場合は基礎代謝を上げる策は不毛。できるだけカロリーを取らないようにする方が圧倒的に有効であるのは間違いない。

何も食わない、とは具体的にどうするのか。 これが問題で、ずっと本当に何も食わないと、どうやら人は死ぬらしい。あいにく俺は餓死したことがないのでどのラインまで食わないと死ぬのかはよくわかっていないが、一部の研究では最大三ヶ月半まで人間はものを食べずに生きられるという。さすがに仕事や学業に支障をきたすわけにもいかないから、月単位で断食するのはやりすぎだとして、最大半月程度がギリギリ常人にできる範囲だろう。

俺がやった断食の最長記録は10日だ。痩せた体重は7kg程度だったという記憶がある。数値で見ると随分痩せたように見えるが、俺の場合は少し特殊で、普段飯を食う時に飲む水の量がとても多いらしい。そのため飯を食わない期間があると、自然と水分が抜けるようだ。その結果の7kgだから、まあ落ちたのはほぼほぼ水分。脂肪でいうと1kg程度しか減ってないだろう。まあしかし、10日やれば7kgは落とせるということだ。7kgも痩せれば水分だろうとなんだろうと人のシルエットは変わる。俺はシルエットが変われば満足なのだ。ちなみに10日断食した際は結局一月で12~15kgくらい痩せた。医者に行けと上司に言われまくったのを覚えている。

今回の目標は-5kgなので、5日くらいで見込んでいる。断食をしたことがある人ならわかると思うが、飯なんて食わなくても案外辛くない。現在三日目に突入しているところだが、大してストレスも感じていない。コーヒーの飲みすぎで胃を痛めているため、むしろいい感じに食欲がない。

もっと痩せたいデブは低糖質ダイエットも心がけること。断食からの復帰後も米だのうどんだのの炭水化物はなるべく取らないようにするのがいい。おすすめはどのコンビニでも最近売っている、おぼろ豆腐だ。復帰食としても優秀だが、まあ十中八九消化不良を起こし、下痢になるのは避けられない。もうそれはそういうもんだとして諦めろ。 それよりも、下痢になると脱水症状が現れる。水分だけはとるようにしないと、マジで死んでしまうか少なくとも私生活に支障をきたすので、その点だけは注意したい。塩と水分は大切にすべきだ。

体が利用するエネルギーの順序は糖>脂肪となっているらしい。一旦断食をすることで、当然体内では糖が枯渇する。そうなって初めて脂肪を分解したケトン体というものをエネルギー源に使う体になってくる。そんなもんよく知らねえが、断食後しばらくが一番目に見えて体脂肪が落ちる期間だというのはなんとなく経験上知っているしあながちトンデモ理論ではないんじゃないかと思っている。

デブは一旦体内の糖をリセットしてから低糖質を始めたほうがいい。デブって本当に甘えなんだな、というくらいすぐ効果がではじめる。大体水分なんだけどな。シルエットと数字が変われば満足だろ。

いやマジでデブは甘え。人間痩せようと思えば一瞬で痩せるよ。それでも痩せれない場合はなんか病気を疑ったほうがいい。痩せれない体質とかそんなん大体言い訳だからマジで。もの食わなけりゃ痩せるよ。デブがいうんだから間違いない。

ゆめゆめ疑うことなかれ

有給休暇とオデキの聖戦

尻にとても大きなオデキが出来た。これは神による仕事を休めという啓示である。そう気付くや否や、俺はすぐさま勤次郎とかいう無骨な勤怠管理サービスで有給休暇を申請することとした。今週の金曜日は休めと、そう神が言っている。 俺は無神論者故、神には逆らえない。矛盾を感じるであろうが、しかしどちらも本当のことなのだ。だつて、居もしない神などというものに逆らうなど、逆説的に神の存在を認める行為に他ならないのであるから。故に、俺は神には逆らえない。

一年に10日ほど授かる有給休暇というものは、それすなわち神による十の偉業である。十の内おおよそ九つほどが翌年に持ち越されるのがここ最近の通例となっているが、今回の俺の尻のおでき然り、時折神は優しく奇跡をもたらしてくれる。

風俗で可愛い嬢が出てきたとか、駅の階段でギャルのパンチラがあったとか、そないなことは神の奇跡ちゃうねん。有給と桜井ひなここそ神の奇跡やっちゅうねん。

若人よ、ゆめゆめ疑うことなかれ 夢見る子供の夢の夢。

跨る白馬の夢見玉

俺は普段、たくさんの夢を見る。それは俺の睡眠の浅さに由来するものか、はたまた俺の精神の浅はかさによるものか。そのどちらかなど俺にとっても誰にとってもどうでもいい話であるから、皆が皆興味津々であるはずの女性の夢の話をしようと思う。

このご時世に、女性にとっての夢はロマンスだなどという古臭いカビの生えたような話はふさわしくない。しかしそれでも白馬の王子様というものは未だ母やディズニーから子に受け継がれていくれっきとした象徴であることに変わりはない。

当然、本気で白馬の王子様が突然に声をかけてくると確信している女性は少ない。全ての女性が運命論者であった時代はこれまで一度もなく、ましてやそもそも運命論者と言えるほどこの世に希望を残す人々が男女問わず減っている現代日本では尚更といえる。 それでもまだ白馬の王子様という表現が現代に通用するのは何故か。それは結局のところ女性に限らず皆が皆、夢というもの自体を”かないっこないものだからこそ価値のある、非現実への憧れ”と認識しているからではなかろうか。それは正しい認識だ。正しくも過剰に現実的な認識である。夢は叶うものではなく、見るものだとするその姿勢は正に、白馬の王子様を夢見ながらDV夫にその影を探る所謂ダメ女のそれといえる。 星占いをアテにする子供と同じくして、良いところしか受け取らないというのもまた正しく前向きで、素晴らしい姿勢だと俺は思う。一つ20円ぽっちのガラス玉を、しかし本物の宝石以上にとても大切にしようとする愛らしい純情を誰が非難できようか。

女性の話に加えて言えば、俺も実は愛らしい純情の塊なんじゃねえかと最近考えている。こんなにも、こんなにも例えサマーが何百日目になろうともオータムを待ち続けている気持ちと純粋さは、またそれらと同様に非常に美しく尊いものに違いないのだよ。

世の中に白馬に乗った王子様などほとんど存在しないし、俺がたとえ王子だったとしても白馬になんて乗ったらオデキが潰れそうなんで遠慮したいところだが、しかしまあ俺自身も眠れる森の姫を常に待ち望んでいる節はあるのだから、やはり人々は性の枠組みもなく夢を大切にしていると考えられる。 夢への認識、夢への憧れは現実の行動や物事に関わりなく、全て愛しく美しく尊いものなのだ。かなえなくとも、かなわなくともよいから、少年は夢を抱け。迸る熱いパトスで、愛と正義と愛液と精液を持って夢を見るべきなのだ。

何が言いたいのかよくわからなくなってきたが、ゆめゆめ疑うことなかれ。

フレーム思考が上手くいかない理由

A:整理を必要とするほど考えていることが多くない

マインドマップとか色んな種類の思考フレームワークみたいなものが世間にはあるけれど、学生時代とか、就活中に知ったばかりのころは全く上手く使えなかった。

その理由がようやくわかりかけてきた。それが上記「整理を必要とするほど考えていることが多くない」というものだ。

僕はエンジニアをやっている。 正直最近仕事が辛い。何が辛いかっていうと、考えるべきことが多すぎる。特に自分が行っている仕事と取り組む姿勢、それが本当に上からの評価につながるのかという点が最も精神を追い込んでいる。しかし、そんな状況だからこそ思考の整理が役に立つものだと今回学んだ。 後輩、先輩、部下、上司、案件、自分の評価、個人目標、事業目標、評価制度の刷新と考えるべきことが呆れるほど多い今だからこそ、マインドマップが上手く使える。

悩みの多さに比例して自己にかかっている負担の全体像は見え辛くなる。どこに何割の力を注ぐべきで、またそれがどのように作用すると考えているのか。そんなこと意識して仕事してるわボケと今まで思っていたが、追い込まれている状況ではとても難しいことだ。

自然体でマインドマップを作成していると、無意識に強い言葉を使おうとする項目が出てくる。これは丁寧に書こうとすることに意識を向けがちな手書きではなかなか見えない感覚で、自分でも驚くほど不満や不安がつらつらと出てくる。

余談ではあるが使っているのはmacのアプリであるxmindというアプリだ。直感的な操作でそれなりに見やすいマインドマップが作成できる。他にいいのがあれば乗り換えてもいいが、今のところ不満はない。

完成したマインドマップはおおよそ人に見せられるものではない。負担を感じている時というものは、思いの外赤裸々に自分の心を捉えられるものだ。弱気に思っていることや、自分の中で矜持と呼べるほど大切にしていること、確認すべきと理解しているのに放置していることなど、冷静とは程遠いながらも認識のみえる化ができる。

就活中は「マインドマップとか作らねえでも自分が考えてることくらい分かるだろ」とか「意識高いでござるねwww」とか考えていたが、クソアホだったわ。余裕こいてんじゃねえよ、てめえも本気出して追い込まれてみろと今は言いたい。まあ今は本気出しているのかと聞かれると怪しいが。

あー、人に評価されるっていうのはこんなにも傷ついて傷つける行為なんだなぁ。抜け出したいね、この地獄。 思考を整理した上での感想はこんな感じだ。そこまで整理できただけでも大いに役立っていると言える。

はぁーーー、、、橋本環奈ちゃんの爪とか髪の毛とかおちてねえかなぁ。