ここはクソみたいなインターネッツですね

逆にクソじゃないインターネッツってどこ

子供と大人の違い。

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このテーマについて考えようとしたとき、真っ先に思いつくのは'夢'を見るかどうかだ。

「大人って、大きい子供なのよ。」

幼い頃、そう母に教えられたことがある。今思えば、なんとも的を射たことを言う。

その母は、五十いくらかの歳を重ねた今でも物語を愛し、理想や夢を語り子や孫に聞かせる。

彼女は随分と、子供らしい大人だ。

僕の記憶にある限りでは、自身のことを大人と称したことは一度もない。幼い僕の世界に対する疑問や好奇を、大人になれば分かると誤魔化したこともない。

子供の夢を聞き、一緒になって自らの過去の夢や今の理想を言葉に描く。

あまりに嬉しそうに夢を語る彼女を見て、ああ、大人になっても夢や理想というものは絶えないのか。と、無限の欲求というものの果てしなさを子供ながらに強く感じたことを覚えている。

そうして育てられた僕が確固たる夢を持ち得なかったのは必然と言え、彼女の教育の愛すべき過ちの一つと言える。

四半世紀以上生きた今、自分自身の事を、まだまだ子供だと思う。

しかし一方で、やはり社会は僕を子供扱いしてくれなくなり、今では被る責任も昔思い描いた大人のそれと変わらない重さを得た。

世間では、二十代や三十代はあっという間に過ぎていくなどと言われるけれど、僕は時の速度というものを意識したことがない。 僕にとって、それは常に一定で然るべきもののように思えて、今のところ速度はその意思に恭順してくれている。

一定の速さで時が流れるとすれば、ある瞬間から人が大人になるということはあり得ない。自立した瞬間からだとか、社会人になった瞬間からだとか、そんなことは本質から遥か遠くのまやかしを見る人間が言う言葉だろう。時の流れの中では、一切合切なにもかもが、グラデーションのように少しずつその色を変化させていくものであるし、そうあるべきだと僕は思うのだ。

ある時、友人がこう言った。

「子供の時はなんでも出来るって思っていたろ?けれども大人になっていくにつれて、人は少しずつ出来ないことを増やしてしまうんだ。自転車で青森まで行くことだって、子供の頃はきっと出来るって信じていた。でもいつの間にか、そんなことできるわけないって嘘を吐くようになってしまっていたんだ。本当は今だって、出来ないはずなどないのにね。」

大人とは難しい。

子供だって簡単じゃあない。

当然だ。大人なんて、少しずつ大きくなっていった、ただの子供なのだから。

できるはずのことを段々とできないことにしてしまう。

自分自身の限界を見定めるつもりが、いつの間にか限界を自分で決めてしまっている。

確かに年をとるということはそういうことなのかもしれない。

しかし悪いことばかりでもない。

この理論でいくと、何処にでもいるコンビニのレジのおばさんも、実は少しずつ大きくなった女子高生と呼べるわけだ。

意識次第で、僕の中及び君の中の女子高生は無限に増殖する。

女子高生しかいないなんて、世界がまた一つ魅力的に見えて来るだろう?

ぼくは世間一般でいう大人になってから、そんなことを考えて正気を保つようにしている。

社会の中で吹きすさぶ風や荒れ狂う波に揉まれながら、どこか遠くにいる女子高生のことをただ思いながらぼくは、生きているんだ。

教師は聖職者であるべきか生殖者であるべきか

教師たるもの、聖職者であれ。

教育を学ぶ者にとって、第一の壁はこの命題だ。本当に教師は聖職者でなければならないのか。教えによって人を導く者は、すなわち聖なるものであるべきなのか。

生徒はあらゆる経緯を経て、教師から「正しさ」を学ぶ。それが教師の正しさからくるものでも、誤りからくるものであったとしても、何かしらの正しさを自身の論理のもと学び取るのだ。生徒は教師から教えられるのではなく、自ら何かしらの正しさを学び取るために、注意深く教師を観察しているに過ぎない。

僕の経験から言えば、聖職者たりえた教師は居なかった。いつだって彼らは、彼らの教えと同様に不完全だった。高校生の頃、一年前まで教わっていた教師と駅で鉢合わせたことがある。稀にラーメンを奢ってくれることのあった彼が、どちらかといえば僕は好きだった。だからこそ懐かしさに胸を歓喜させ思わず声を掛けたのだが、しかし彼は僕のことを覚えてはいなかった。僕は教師と言えど人間である事をその時に知った。いや、思い出したと言った方がふさわしいか。

僕が教師から学んだ唯一つの確かなことは、「人間である以上、誤ることはある。」ということだ。誤りというものは生に密着したものであって、肉体、精神、態度、教え、思考、論理の全てに顕現し得る。

教師は、教室という閉鎖的な空間に絶対者として君臨する生き物だ。しかしそれが永続する訳ではない。ふとした瞬間に彼らの教室内での地位は地に落ち、教育の残酷さを身を以て知ることになり得る。彼らはその不安定な絶対性がもたらす自己矛盾の苦悩に常に晒される生き物でもあるのだ。真面目な教師であればある程、その特質は顕著といえる。

教師だって人間だ、という諦念を持ってしてその矛盾から目をそらすことも出来る。しかしそれは、多大な熱量を持って矛盾に立ち向かうことよりも、むしろずっと勇気のいる行為だと僕は思う。 僕が好きだった教育者は、ある時生徒の鋭い指摘にそうして視線を逸らした。その背徳は、少なくとも僕の眼には大変に尊い人間の自己防衛として映った。

客観的に見ればいくら教師だって人間なのは当然だ。堪え切れない欲望を持て余すことだってあるだろう。しかし、彼らにはいつも絶対者としての立場や責任が必要以上につきまとう。教師が痴漢をしようと一般的な会社員が暴漢になろうと、僕には別の事のようには感じられない。それが悪であり罪であるという話は別として、教師というものの社会的信用が失われるだとかそんな話に発展することが、不思議でしょうがないのだ。

教師たるもの、聖職者であれ。こんな言葉を言う人間は、人間に、あるいは人間が持つ聖なる部分に期待し過ぎなのだ。それは教師に対する教師らしさへの期待と同時に、生徒に対する生徒らしさへの期待も含んでいる。

教師から生徒へと話を移すと、生徒は、教師が痴漢を起こす前からずっと、彼らが決して聖職者たり得ないことなど気付いてしまっている。生徒は、教師が聖職者の仮面を必死に被ろうとしていることを、誰よりも知っているのだ。

教室というものは一つの儀式場だ。聖職者の仮面を被る教師に対し、その滑稽さを確かに知った上で生徒は生徒としての仮面を被る。教師と生徒の関係は、決して教育などというものではなく、仮面同士が擦れる静かな摩擦を味わう、ただ一つの儀式なのだ。

本当のところ、いい先生なんて居なかった。いい人間が、たまたま先生の仮面を被っていることなら何度か見たことがある。そんな程度の話だ。

教室などという儀礼の地獄に何時迄も居なければならないのだから、聡明な人にとっては教師は大変な職業だ。

生徒と教師だからといって、そこに愛が生まれただけで途端に騒がれる。人間と人間同士なんだ、何も問題などないじゃないか。やはり僕はそう思ってしまう。

物語は作者の手を離れるか

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物語は、作者のみならず受け手にさえ創造的行為を求めている。そのような主張をしたのがロラン・バルトだ。

彼に影響された訳ではないが、私も物語は作者の手を離れるものであり、またそうあるべきものだと思っている。例えば100年以上もの間たくさんの人々に語られている童話に、著作権の議論や作者の議論を持ち出すことはナンセンスであると感じる。そういった議論が価値を持つのは、物語がどのような人々を経由してどのように進化を遂げたのか、という一点のみである。

童話に限らず、物語というものは少なからず独立性があるものだ。語り手によって、伝えようとする事柄も変化する。もちろんそれに伴い物語の筋も変化し、むしろ原型を留める必要性など欠片もないのだから、語られるたびに新しい物語が生まれているというべきだ。

漫画家の荒木飛呂彦が、最も古い職業は語り手なのではないかと言った。本当のところはわからない。娼婦が正解かもしれない。しかし彼のその言葉は夢のある言葉で、そして少しの現実味もある話であると思う。

物語というものは、作り手の想像を遥かに裏切る速さで伝染し進化する。いわばウイルスのようなものだ。語り手の数、あるいは受け手の数程それは膨れ上がり、いずれ自ら一人歩きを始める。 最低限の骨組みであったはずのそれも、いつからか必要以上の肉付きを抱き、最早骨組みの形状を無視した体型にまで進化する。

誰かが大事にしているプライドだとか、革命者のアナーキズムだとか、両親の優しさだとか。それらを全て内包する肉体は、誰が誰に宛てたものなのか、今ではもう誰にも分からない姿にまで成り果てている。 狡賢い高潔さと、理不尽な魅力。それだけをひたすらに表現する昔話・おとぎ話の類は、国境を越え、歴史を越え、人種を越えて語られる。そこには定義なんてものの居場所はなく、ちっぽけな規則など存在さえ許されない。 グローバリゼーションだとか、情報化だとか、そんな小手先の進化では汚せないほどの純粋さと、宗教だとか、努力だとか、愛情だとか、そんな小手先の退化では救えないほどの残酷さ。私はこれこそが物語の内臓であり、美しさとグロテスクさを感じさせる肝であると思う。 物語は人々の相互依存であり、鏡でもある。人々の創造力が作った一つの世界、というのはいささか夢想的すぎるか。しかしながら物語は人々の常識となり、宗教となり、文化となり、歴史となった。積み重なる歴史はいずれ世界を構築し、同時に観測者としての側面をも得始める。歴史に鑑みるという行為は、物語に鑑みるということである。物語が自動的に新たな物語を紡ぐようになったのならば、最早それは一つの世界であるといっていい。 物語の語り部として存在していたはずの誰も彼も、いつの間にか物語そのものに食い殺されていて、いつからかその内の一細胞として存在している。私は私の物語を語っているはずなのに、いつの間にか神の視点を持った「歴史」という世界の物語に取り込まれている。 こうした物語の多重性と神秘性こそ、物語が人を惹きつけて止まない重要な要素である。

姿を変え無限に進化する物語に、作者など必要ない。所有権を主張したいのであれば、物語を自らの中に閉じ込めておけばいい。しかしそれは物語を殺すことと同義である。

物語は生き物である。人という媒体に寄生させ、新たな栄養を取りこまなければ死んでしまう。作者に寄生し続ける物語があるとすれば、それは言語化されない単なる「妄想」でしかない。 似たような物語は各国にある。しかし物語というものの特質上、語り手や聞き手の違いが少しでもあるのであれば、全く同じ物語など一つも存在し得ない。そんなもの一つ一つに「作者」が現れて権利を主張するなど、最早喜劇の類いですらあると思う。 物語は作者など必要としていない。 ただ単に彼らは、媒体としての「語り手」を必要としているだけなのだ。

強い人とか弱い人とか

あの人は強い人だ。

そんな風に形容される人がいる。たとえ本人がそう自覚していなくとも、周りからそう評価される人は確実にいる。 一体何を持ってして強い弱いを断じているのか。僕は昔から、「強い人」とやらに違和感を覚えて仕方がなかった。

強さ、あるいは弱さとは何か

一般的に言われる強さというものは、

「夢がある」

だとか

「めげない」

だなんていう物差しで測られている気がする。naverまとめなんかで纏められている精神論が語るのは、大抵こういったことだ。

けれども僕は、強いと思わせる人が必ずしもそれらを満たしているとは感じない。むしろ弱いと感じる人でも大層な夢を持っていたり、それなりの苦難を経験していたりする。 だからこそ、ただ明るいだけの人を強いとは思わない。まっすぐ信じた道だけを突き進む人を強いとは思わない。僕はむしろ、そういった人を見ると「危なっかしいなあ」とさえ思う。 反対に、ひたすらに暗い人がいたとして、僕はその人を弱い人だとは思わない。生きるのに疲れてしまう人を、僕は決して弱いとは思わない。

弱いことはいけないことか

では僕にとっての強さとは何か。それを語る前に、一つだけ言っておかなければならないことがある。

強くあることは美徳ではなく、弱くあることは悪徳などでは決してない。

これは僕にとっての強さにおいても、世間一般における強さにおいても同じことだ。強くあるのが美徳とされることこそ、むしろ傲慢な社会の重大な欺瞞だ。

誰が強く生きろと言ったんだ。強く生きるも弱く生きるも本人の自由だ。その言葉に靡いて、借り物の意思で借り物の生を歩むことこそ、弱いものの道ではないのか。自らの意志で強く生きたいのならばそうすればいい。弱く生きることを受け入れることもまた、大変な強さを要することだ。どちらにしろ、人に強く生きろなどと言う恥知らずの言葉には、耳を貸さず嘲笑を返してやるべきだ。

僕は心底そう思う。 ありがちな例えを用いれば、人の人生は一枚のキャンバスだ。人の絵をなぞる必要などこれっぽっちもなく、色を現実に合わせる必要もない。描きたいものを描き、描きたくないのならば白紙のままにしておくと良い。その絵の価値など、完成するまで誰にも判断できないのだから。そして、その絵が完成する時にはもう作者は死んでいることになる。ならば、後のことなんてどうだっていいだろう。好きに描くべきだ。

では、僕が思う強さとは何か

結論を言えば、僕が思う強い人とは「考える人」だ。ロダンのことを言っているわけではないが、しかし考える人は像になるほどに美しく、また何よりも尊い。 悩むことと考えることは違う。その二つは、限りなく近く、しかし限りなく遠い行為だ。

考えることは、大切なことを深く深く突き詰め、その輪郭を明らかにする。 悩むことは、大切なことを置き去りにして、何もかもボンヤリとさせてしまう。

信じた道を突き進む人は、信じた道が誤りだったと知った時、どうするだろう。 希望を忘れて悲しむ人は、生きる意味を考え考え考え抜いて、どうするだろう。

一瞬に迸る情熱と、導き出された確かな論理では、総熱量は同じかもしれない。しかし、熱量の質は明らかに違う。確固たる考えを持ち、そしてそれすらを疑い考えることをやめない人がいたとしたら、僕はそれこそニーチェの言う「超人」のような、とても強く尊い人間だと思う。

どちらが良いとかどちらが悪いとか、決してそんな話ではない。 しかし強くありたいと自身が望むなら、やるべきことはただ一つ、「考える」ことだ。

悩むことは無意味だ。人は考えてこそ本質に近づく。

ならばこそ、僕は女子高生にモテないと悩むのではなく、女子高生にモテない理由を冷静かつ多大なる偉大さ及び厳かさを持ってして、今もなお深く深く考えている。

ニートの規範とか社会がニートに期待することとかそれについてニートが思うこととか

規範、ということばはとても興味深い。僕自身多用しがちな言葉の一つである。

社会学を学んでいた頃、よく授業ではこの言葉が出ていた。抽象的な言葉なので最初の頃はよく混乱していた。人格、文化、社会、生活、それらのどこにでも付きまとうのがこの規範という言葉である。僕はこの言葉を特別気に入っているわけでもなく、いい言葉だとは思わない。しかし人が二人以上居ればそこには社会というものが生まれ、大小何かしらの規範が存在せざるを得なくなる。どこまでその規範を内面化しているか、定着しているかは別として、やはり人が生きる上で規範というものは絶対的に存在し、ある程度の共有が為されているものだ。つまり誰も、規範から逃れることなどできない。

 規範というと、「〜すべき」という文脈に当てはめられるものが多いように思う。ニートとはこうあるべし、というように。では、NEETの定義からいこう、NEETはNot in Education, Employment or Trainingの頭文字をとったものであったと思う。教育を受けておらず、雇われてもおらず、訓練も受けていない。さもありなん。僕の現状はたしかにその通りだ。この言葉を作った人は決して批判的な文脈で使用したのではなく社会における一定数の存在を呼称するためだけに使ったのだとかいう話を聞いたことがある。そして一部の学者はニートがある種の罵倒語のようになってしまったことに対し憤っているとも。

まあそれは置いておいて、世間のイメージではニートは働かず働く気もない若者で、ちゃらんぽらんな放蕩者という感じだろうか。働く気もなく放蕩しているもののみがニート足り得るというのであれば僕はまさに彼らのいうニートだろう。ニートはダメなやつで、本当は働くべきで、それでもいつまでも自愛からくる甘えを振り切れず自立できないやつ。何も間違っていないとニートの僕は思う。

しかし、ニートにも背景を持つ人がいる。一度は社会に出たりうまく社会と付き合っていこうという意志を持っていたが、何らかの事情で転げ落ちてしまった人たち。落伍者、といってしまうのは彼らに失礼なことかもしれないが、しかしやはり置いていかれた、という表現がふさわしいように思う。僕も自分ではこちら側のニートだと考えている。一回はうまくいきそうだったのにな、どっかでまちがえたんだろな。後悔なんかしてないけどなんかな、思うところあるよな。

大して揺れてもいない社会から振り落とされて、落ちた先では上手く自分でレールを敷けず、いつのまにか幾つかのセーフティネットもすり抜けてしまった。悲しいかな、未だに僕はそれを僕自身のせいだと言えるほど大人にはなれておらず、社会のせいだと言うほど子供にもなりきれない。僕にとって今の状況は自分が被害者であり加害者でもある状況、これはどこか自殺に似ている。つまり僕は一度自殺をしたのだ。そして生まれ変わってもいない。ゾンビのように日々を暮らし消費>生産のサイクルを必死に回している。

何もせず、かつなるべく社会に迷惑をかけない存在であれ。

考えてみればこれが僕にとってのニートの規範、いやもっと範囲を狭めて僕自身の人格規範なのかもしれない。何もしないことで既に社会に迷惑をかけている、という自己矛盾を孕んでいる点がとても生々しくて的確だと自画自賛している。自己批判と自己愛、エロスとタナトスのせめぎ合いのような、とてもとても人間らしい背反だ。

世間はニートを排除しようとする。生産しない人間など社会に必要がないから。 しかし社会はニートを守ろうとする側面も持っている。生産しない人間でも社会が擁する一人の人間だから。 なかなか難しい問題だよね。 そしてニートというか僕は排除してくれるならしてくれていいと思っている。金と迷惑のかからない死に方や誰も罪に問われない殺人のされ方なんかがあるなら是非教えてほしいしなんならその勢いのまま殺してくれとさえ思う。北朝鮮からのロケットを俺が受け止めることで誰かが助かるなら是非そこにベッドを置いておいてくれ、僕はなんの未練も感動もなくそこで寝るだろう。 「そうじゃなくて働けよ」というツッコミは尤もだ。誰だってそう思う、俺だってそう思う。でも嫌なんだもん。働きたくないんだもん。これが紛れもなく僕の本音だ。今は割と安定しているので死ぬほど働きたくないとまでは思わないが、働かないでいいなら働きたくはない。そしてなんとなしに今はそんな感じで生活出来てしまっている。きっと誰かに迷惑をかけながら。

僕は働きたくないよ、ごめんね社会。

はたらきたくない

別に楽して生きていきたいとか思ってない

やりたいことを仕事にしたいとか思ってない

なんも考えてないしなんも考えたくない

かといってニートのままでいいともおもってない

大学で出会った女の子とアムウェイの思い出

このマークを知っているだろうか。ネットワークビジネス、マルチ、ネズミ講、正誤はともかく色々な呼ばれ方をしているアムウェイ。僕は決して参加したことはないし、参加するつもりもない。うさんくさい。アホらしい。僕はそう思う。

けれども、知り合いからネットワークビジネスのような話を持ちかけられた時は必ず、彼らの話を一度は聞いてみることにしている。

僕は今までアムウェイの勧誘を数回受けている。中学校の同級生に急に誘われカフェで2時間語られたり、友達の家にゲームをしに行ったら急にその話になったり、様々なパターンがあった。

その中で一番記憶に残っていて、「下手したら僕は入っていたかもしれないな」と思うパターンが一つある。

「可愛い女の子の家に行ったら全てのものにamwayロゴがついていたけれど一切勧誘も良い雰囲気もなかった時」

だ。この時ばかりは自分から言いだしそうになった。

その話をしたい。

出会いとアムウェイの戦慄

彼女と最初に出会ったのは新入生歓迎コンパだった。あれは確か僕が三年生の頃。飲み屋を貸し切って百人以上の新入生を招き入れ、気に入ったら是非我がサークルに入ってくれと勧誘をしていた。当時僕はサークルの代表とはいかないまでもそれなりの役職についており、新入生が変なのに絡まれたりしないよう監視する役目を担っていた。

その日は何かとトラブルが多かったのを覚えている。未成年宣言をした子がお酒を飲もうとして必死で止めたり、飲みの場に不審な注射器が落ちていたり、聞き込みからその持ち主を特定しようとしたり。特定した注射器の持ち主はどうやら新入生の一人ということがわかった。持病かなんかで、治療のために使ったのならいいのだが、オヨヨなものを打ってたらマズイよなぁということで僕が彼に話を聞くことにした。

彼は、泥酔しているのかキマっているのかは分からないが酩酊状態にあり、他の新入生の女の子に悪絡みをしているところだった。結論から言えば彼は打った薬については明言を避けたがどうやら正当でないものであることを匂わせたので、僕は追い出す決断をした。放置されていた注射器も適当な缶に入れて捨て、とりあえず致命的な事態を招かずには済んだと言える。 さて、突然彼を呼びつけ引っ張っていってしまったわけであるから、悪絡みをされていたにせよ女の子の方にも一言声をかけておかなければならない。満更でもなかったのかもしれないし、悪いことしたなあという意識もある。

そこで僕は「さっきは勝手に彼連れてっちゃってゴメンね」と彼女に声をかけた。

「うざかったので助かりました。なんかクスリをやってる、君もやってみない?みたいなこと言われて面倒でした。」

そこで僕は彼女の顔を初めてちゃんと見たのだが、なんというかこう、動物的でとても可愛らしい子だった。ぶっちゃけ一目惚れに近い。そこから僕はもう、先輩であるというアドバンテージを最大限に利用して「大丈夫だった?実はさっきアイツ追い出してきたんだよね」というような切り口で彼女に急接近していった。 しばらくして彼女が「人がたくさんいて疲れた」と言い出したので、僕はサークルの仕事を放り出して彼女を駅まで送ることにした。道中の駆け引きが功を奏したのか、またお酒の力も多少借りることで僕は彼女の手を握ることに成功し、駅まで連れていった。

「うち、ここから近いから歩けるんです。一緒にうちまで来ませんか」

というセリフを聞いた時には正直ブレイクダンスでもしてやろうかというくらい嬉しかった。まあ大学生の間ではこんなことはよくあることで、この子がたまたま話の早い子でちょっとラッキーだなあというくらいの話だ。 顔がタイプ、大学の近くで一人暮らし、話もつまらないわけではない、それなりに積極的、とくると非常に好条件の物件。いや、物件なんて呼び方は失礼だ。彼女こそが運命の人で、一生尽くすべき相手で、信奉すべき女神そのものなんじゃないかと僕は思った。性に支配された頭の悪い学生の思考なんてこんなもので、それは確かに愛になり得る思いだった。二人で白線の上しか歩いてはいけないゲームなんかをしながら、ウキウキ彼女の家まで歩いて行った。

家に着いてまず気付いたのは、おそらくここはそれなりに高級なマンションであるということ。駅近、オートロック、外観からかなりの築浅であることも伺えた。親御さんがお金持ちなんだなあ、と思いはしたが当時はあまり気にしていなかった。

「上がって」

と言われて入った部屋は僕の想像よりずっと広く、女の子らしく綺麗に整頓されていた。僕は、彼女が淹れてくれたお茶を飲みながらこの後のことを想像していた。

僕はここに泊まるのだろうか。泊まるとしたらお風呂を貸してもらえないだろうか。僕らは今夜このままセックスをするのだろうか。サークルの飲みに戻らないと後で怒られるんじゃないだろうか。この子はどこまで考えて僕を部屋に入れたのだろうか。少し酔った僕の頭のなかでは、色々な思いがグルグルと回っていた。

「自分が汗臭い。シャワー貸して」

シャワーを浴びながらも考えてみたが、結局イマイチ彼女の意思がわからない。しかしこのままなんやかんや彼女と寝てしまうと、注射器の事件以上にサークルを揺るがしてしまうことになってしまうのではないだろうか。そんな思いをうまく消化できないまま風呂を出ると、彼女はタオルと新しい歯ブラシを脱衣所に用意してくれていた。この歯ブラシというのが僕にとって重要な問題だった。これは僕の口が臭いから置いているのか、それとも泊まって良いという意思表示なのか、ただシャワーを浴びたら歯は磨くだろうという彼女の中の習慣からきたものなのか。僕は思い切って、彼女に意図を問おうとした。

「私もお風呂はいる。服はファブリーズしといたから、乾くまで裸でゴロゴロして待ってて。」

彼女はそう言って脱衣所に入ってきた。ラノベの難聴系主人公だったらまだ決意を固める段階ではないのかもしれない。しかし性欲と自分自身の心にどこまでも忠実であった僕は、流石にこの時点で全てを確信し理解した。

「本当に裸でゴロゴロしてる。男が着れそうなTシャツなんてないから、そのままで。」

シャワーを終えて出てきた彼女は、ラフなtシャツにボクサータイプのパンツをはいた姿だった。あまりにカジュアルというかラフな格好をしていたため、僕はもしかして彼女と長年付き合ってきたりしているのかと勘違いさえしてしまいそうだった。なんとか正気を取り戻し、目のやり場と手持ち無沙汰感の解消を求め歯磨きをすることにした。

僕はそこで、遂に「amway」の文字を目にすることになる。

警戒と興奮と肩透かし

洗面台に陣取り、いざ、と手を伸ばした歯ブラシと歯磨き粉。その両方に「amway」の文字があった。よく見れば化粧水、ちょっとした小物の全てにそのマークがある。正直鳥肌がブワッと湧き出て、確かに戦慄が走った。

僕は当時既に数名からamwayの勧誘を受けており、友人関係を壊さない程度に全てなあなあにして避けてきた。しかしこの状況はどうだろう。 仮に僕が今彼女からセックスとamwayのお誘いを同時に頂いたとしたら、断るなんてことができるであろうか。いや、できるはずもない。僕はその二つの誘いを別個のものとして捉えるほど愚図ではないし、彼女の魅力に打ち勝つ程の決意を持てるわけもない。しかしamwayにいい噂は聞かない。そもそも僕にはamwayを拡散するほどの友達もおらず、バカスカ商品を買う金もない。

どうしよう。ヤりたい、でもamwayはヤりたくない。

もう僕はこの時点で既にどうしようもなかった。僕はどうしようもなく彼女に魅力を感じていたし、このイケそうな状況をむさむざ打ち捨てるには僕の天秤はあまりにも正直であり、そしてそもそも恋というものは時に人を死なす程のものなのだ。

「この歯磨き粉、amwayなんだ。amwayやってるの?」

僕は敢えて地雷を踏み抜くことにした。今思えば、少しでも'相手に騙されている感'を減らし立場を対等にさせようとした為の一手なのかもしれない。いや、単純にさっさと話を済ませてすぐ至りたかったのかもしれないけれど。何にせよ僕の経験上、amway信者に対し少しでもamwayに興味があるようなそぶりを見せると必ず勧誘してくる。それはもう水を置いておけば蒸発してしまうのと同じように、自然の摂理とも言えるほど必然なのだ。当然、今回もそのようになって然るべきだ。

「・・・」

驚くべきことに、彼女の返答は無かった。むしろあまり触れて欲しくないような表情で、正に'聞かなかったことにした'のだ。これには僕も驚いた。牽制に繰り出した先制ストレートパンチを完全にスカったわけだ。

「歯ブラシありがとう。ここに置いておくからあとで捨てちゃって。」

動揺する心を見透かされないよう、何事もなかったかのように彼女の横に座る。

「歯ブラシ置いといていいよ。捨てないでとっておくよ。」

彼女はそういうと、お酒がまわってきたとベッドに入ってしまった。

裸でリビングに佇むぼく

しばらくパンツ一枚でリビングに座っていたが、彼女の寝息が聞こえ始めた頃ようやく僕は服を着た。そう、結局その日はなにもなかったのだった。LINEのIDとシャワーを貸してくれたことに対する感謝の言葉を書いたメモをテーブルに置き、ダイニングにあった鍵を持って僕は部屋を出た。鍵をかけ郵便受けに入れておくあたりで何やら違う世界に迷い込んだような感覚があったのをよく覚えている。酔いも醒め、僕はサークルの友達に連絡を入れ飲みに合流しようとした。マンションを出て少し歩いていると、さっきまで寝ていたはずの彼女からLINEが届いた。

「行っちゃったの。ありがとう」

僕はなんと返信すればいいかわからないうちに既読をつけてしまい、そして今この瞬間彼女の部屋まで戻るという選択肢を失ったことに気が付いた。

「飲み会にいってくるね、一応幹事なので」

と返信をしたものの、なんだか飲み会の喧騒に巻き込まれたらこの不思議な世界から現実に引き戻されてしまうような気がして、僕はとぼとぼと一人で家に帰った。

果たしてあの時僕がamwayに入会していれば彼女と何かしらの関係を築いていたのだろうか。多少のお金と友人を生贄にすれば、幾ばくかの可能性を掴めていたのだろうか。

今となってはわからないけれど、僕はあのとき、間違いなく人生で一番amwayに近付いたことだけは確かだ。

だからこそ僕は、古い友人からFacebookのメッセージを貰うときは大抵いつもこのことを思い出す。

そしてあの変な感覚を、別世界のときめきと似たあの不思議な経験をまたできるのではないかと信じて、僕はいくらかの期待を込めた足取りで彼らの話を聞きにジョナサンへ向かうのだ。

「とりあえず3年間は同じ会社に勤める」について、実行した現ニートが思うこと

なんで3年なんだろう

「社会人をとりあえず3年やるのは無駄」を全否定したい。 | OMGmag

「とりあえず3年間は社会人をやる」ということについて、議論はもう出尽くしているような気がする。いつの時代も賛否両論なのは分かりきっていることだし、「無駄な3年」かどうかなんてものは属人性が高い問題であるから結局のところ人によるというつまらない話になってしまう。

僕はそれよりも、何故「3年」なんだろうということにこそ興味を覚えた。「石の上にも三年」「三年寝太郎」などしばしば日本語には3年という期間が一つの区切りとして出てくる。奇しくも僕はちょうど3年という期間会社に勤め、自分なりに色々と考えたつもりで今ニートをやっている。果たして会社勤めの3年間は僕に何をもたらし、そしてそれは1年でも2年でも4年でもなく、3年でないといけないことだったのだろうか。

1. 1年ではいけない理由

人の人生における1年といえば、それなりに重みのある期間だと僕は感じる。例えば海外への留学で考えれば、2ヶ月や3ヶ月では短いなと思うけれど、1年といえば多くの人はそれなりだと感じるのではないだろうか。語学で言えば、専門的な会話は難しいかもしれないけれど、日常会話が出来るくらいは期待されて良い期間にも思う。では、仕事という意味では一年はどういった意味を持つのか。 僕は未経験のエンジニアとしてベンチャー企業に入社した。そう言ったことも踏まえ、社会人1年目で学んだことは、以下の3点が大きい。

  • エンジニアというものについての規範
  • 自社の業務についての理解
  • その会社が求める社会人としての規範

プログラミングというものについての知識については言うまでもない。そもそもプログラム言語やプログラミングについての知識がゼロの状態で入社したので、日々必死に学んでいった。特にエンジニアという仕事の性質上、常に最新の技術や情報に触れ、積極的に学び取り入れることはもはや義務であり唯一のやり続けなければならない仕事といっても過言ではない。しかし僕が1年目に学んだのは、プログラミングの技術云々というよりもこのような考え方こそがエンジニアという職業の規範であるという理解と納得が大きい。例えこれが営業であっても、事務であっても同じことだと思う。1年目で学ぶ最も大きな点は、その職種が持つべき規範への理解と納得である。少なくとも僕が1年目で学んだことの中では、これが最も身体に染み付いているものである。

次に、自社の業務に対する理解。この会社はどんな仕事をどのように得て、誰がどう仕事を行い誰からお金を得ているのか。今でも不思議に思うことがあるが、何故かこれは入社する前では見え難いものの一つである。就職活動を行っていた時にさんざ調べて分析した内容ではあるはずなのに、自社のことを友人から問われた時にハッキリと網羅的に答えられたのは1年が過ぎた頃だった。商流という言葉の上では説明が出来ていても、誰がどのような仕事をしているかというものはやはり実感を伴ってこそ理解できるものなのかもしれない。

そして、(その)会社が求める社会人としての規範。これは会社にもよるが、電話の出方一つから仕事への取り組み方、立場の違うもの同士の付き合い方など、やはり各々の会社に独特な文化があるのは当然のことだ。その文化が脈々と受け継がれてきたものなのか新興したものなのかはどうでもいいが、その会社に所属する以上求められる資質や態度、守るべきルールというものが存在する。新人研修から始まって、自分が後輩を持つようになるまで1年。その間に「この会社にはこういう文化がある」と後輩に説明を出来るよう、規範に対する理解を深めなければならない。別に共感はしなくてもいい。理解だけしておけば、少なくとも生きづらい状況を避けることは出来るし、後輩にそれを伝えることもできる。

この三点は端的に言って、今の自分の職種のこと,今の自分と会社の役割,今の自分の立ち居振る舞いのこと、である。こうして今振り返ってみれば、僕が社会人1年目で吸収できたのは、あくまで「今・自分」のことまでだった。周囲に対する考え方や、自身のこれまで、自社のこれからといった視点まではまだ獲得出来ていない。

僕の能力という尺度では、世間の言うことに同調するようで悔しいがやはり社会人1年目というのは'学生気分を抜けさせる期間'であったと言うわけだ。学生ではなくなったからといって、社会人であるとは言えないのは当然である。故に、1年ではいけないのだろう。少なくとも僕は、自分の実体験としてここまでは納得がいく。

2. 2年ではいけない理由

では、2年目では何が見えるようになっていったのだろう。なんとなくの印象では、段々と日々の仕事には慣れ、社内でのコミュニケーションも進み問題なく社会人と言えるようになってきたタームであるように見える。しかしそれは本当のことだろうか。

  • 業務への慣れ
  • 出世への欲

僕が2年目で得たのは上記二点である。 まず、業務への慣れ。これは先述した語学留学になぞらえれば、やはり日常会話程度はこなせるようになってきた段階であると言える。日々降りてくる仕事を、1年目で身につけた仕事の進め方に当てはめて一人で仕事を行えるようになってきた。当然後輩にも何かしらのアドバイスを出来るようになり、それなりに余裕が出てくる時期と言える、

そして二点目、出世への欲である。人は余裕が出てくると欲が出て、もっと良いものが欲しくなる。これは人類史が証明していることであるが、社会人にとってもそれは変わらない。入社当時から出世は出来るならばしたいと思っている人が大半だとは思うが、僕は日々に余裕が出来たこのころ、より具体的に出世への道を考え始めることができた。この先この会社にどう貢献すれば評価が得られるか、この会社に足りないものは何か、自分に足りないものは何か、どうそれを得るのか。欲というものは、少なからず未来を考えることと同じ意味を持つ。

僕は2年目にしてようやく、「周囲・会社・未来」を視野に入れることができた。では、より高い視点を得ることができたのに、何故2年ではいけなかったのか。それは僕の場合「視点は視点であって行動ではないから」ということに終始する。出世への欲から、僕はこれからの自分自身の成長について、上司に直談判をして共同作業で道筋を作らせて頂いた。しかしこの時はまだ、理想を持っただけの段階であり、その道筋を駆けられたわけではない。実行が伴わない想定など、なんの意味もない。やはり、僕は会社を辞めるのは2年目ではいけなかった。

3. なんで3年なんだろう

結果から言って、僕は鬱病になって三年一杯で会社を退職した。3年目は、2年目に立てた道筋を必死に駆ける年だった。夢に描いた出世という意味では、僕はこの3年目の一年で異例の2職階昇進を果たした。描いた道筋は困難極まるものであり、時に吐き胃を壊しながら実現した。上司の温情や会社の経営状況など、まあ僕以外にも要因があるとは言え、僕にとって3年目は、2年目の想定をようやく努力を持って「実現」させた年であると言える。僕の場合、スピードを持って成長出来たのはやはり3年目だったのである。文頭にあるよう世間で3年という期間が特別に扱われているのと鑑みるに、多くの人が似たような道を辿ってきたのではないだろうか。

僕の場合、3年目は結局のところ鬱病になっている。なぜ4年ではいけないのか、という話になると、「耐えられなかったから」としか答えられない。僕は今ニートになってしまっているし、世間の人から見れば僕の三年はハッピーエンドでは決してないと思う。今思えばなんであんな出世とかいう下らないことのために人生を摩耗させていたんだろうとか、それでもあの一年は自分としては珍しく頑張った経験だなあとか、それで精神壊れてちゃ成長とは言えないんじゃねえのとか、色々複雑な感情は出てくる。その辺りはまた別の話で。

結論

とりあえず、なんで3年なんだろう、という疑問に対しては僕は自分自身の経験を振り返ることでそれなりの納得を得た。もっとも、僕の3年間を1年で経験してしまう人も当然いるであろうし、もっとかかる人もいるのだと思う。けれども所謂凡人、特に優秀でもなく無能でもない(どちらかと言うと無能寄りかもしれない)フツーの人間と言われる人にとっては、これらのような経験を積む期間として平均して3年程度必要なのではないだろうか。 「とりあえず3年」という話に関しては、明確な根拠ではなく多くの人の経験論から語られている、慣習のようなものなのだと結論したい。その是非は色々あるとは思うし、上述のように個人差があるからなんとも言えないところだけれども、もし今働く期間について悩んでいる学生諸君や社会人1,2年目の人がいるとすれば、自分の人生を考えるための一助として僕の経験を役立ててもらえれば、僕はとても嬉しい。ついでに、ニートの僕にはもう見られない職場のOLのエッチな話や女子大生となんやかんやした話なんかをお礼として聞かせてくれればこの上ない。