ここはクソみたいなインターネッツですね

逆にクソじゃないインターネッツってどこ

メンヘラが、もしかして俺メンヘラなんじゃね?と気づく時

なんか疲れたなあ、と思う時

昔から、なんかどうでもいいところでくだらないミスが多い。 学生の頃、試験時間を一時間遅く認識していたり、最悪なときはキャンパスごと教室を間違って記憶していたりと、本当どうでもいいミスをしでかしてきた。

これまで生きてきた経験から、人間だからちょっとのミスをすることなんて当然だし、それについてクヨクヨ悩んでるのも馬鹿らしいと頭では理解している。

けれども、仕事をするようになってから特に失敗に対して敏感になってきている自分がいる。それは当然仕事に対する責任感とか、社会人としての真っ当な意識から"失敗してはいけない"と強く思っていることに由来する。今ミスをすると自分だけの問題では済まないという理由で、ミスを必要以上に重大なものに感じてしまう。

多分それって誰しもが通る道でなんだかんだ当たり前の感情なんだろうけれども、普通の人は次はミスしないようにこうしよう、とか自発的にポジティブな方に転換していけるからあまり気にしないで済むようになっているんだろうな、と思う。

俺は多分、最近そう思えなくなってきている。何度も何度もミスを繰り返してしまう。対策を練って実施して次回以降同じミスをしないようにすればそれでいい、という論理はわかっているし、必要以上に責め立ててくる上司がいるわけでもない。 それでもさ、なんか、ストレスなんだよ。きっと俺は、自分が成長できているのかよくわからなくなってしまっているんだと思う。そりゃあ俺だって全く学ぶ気のない人間ではないし、学べないほど悪い頭を持っているわけではないと自認してきた。 しかし今、ちゃんと学んで成長を続けられているか、と問いを突きつけられたらなかなか即答は出来ないな。学びの実感がないことが何より辛いよ。一生懸命後悔して、一生懸命反省して、途方にくれるくらいそのことについて考えたりするんだけれども、どうしても次はこうしていこう、というのが真摯に受け止められないのもまた辛い。気をつけてるつもりでも、くだらない甘えなのはわかっているんだけれども、本当に辛かったりするんだよ。

どうしたらいいかなんてわかっているはずなのに、"どうしたらいいんだろうね"というくだらないこの言葉ばかり繰り返してしまっている。

すごく申し訳ない気持ちを抱えている。 辛い辛いと言いふらしてもいない。 ただただ自分がミスをするのが途方もなく恐ろしい。 自分を苦しめる行為だと理解しているのに、場合の違いはあれどくだらないミスを繰り返してしまう。

もう疲れてきたぜ。

人間は名前をつけると安心する

俺なんかが病人を名乗るのもおこがましい話だけれども、なんとなく最近、これってADHDなんだろうな、と思う。 その病気でもっともっと苦しんでいる人や、生きづらさを感じているひとは多分たくさんいる。 だからこそなんとなく言いづらいし、明確にしたくない気持ちはあるんだけれども、ADHDだと自認することでなんだか俺は安心感を覚えている。ちゃんと名前がついている病気なら仕方ない、この訳のわからない不安のスパイラルも、薬さえ飲めば治る病気なんだと思うだけでだいぶ付き合いやすいものになってくる気がする。

さっき書いた通り、やはり実際に診察を受けるのはちょっとまだ怖い。正式に病人認定されてしまうのもなあ。より生きづらさを抱え込んで卑屈になってしまう未来が想像できる。 いやだなあ。はたらくの。

メンヘラが、もしかして俺メンヘラなんじゃね?と気づくとき

ではなぜ俺が自分をメンヘラなんじゃねえか、ひいてはADHDなんじゃねえかと思い始めたかというと。たまたま知り合いにパニック障害を持っているひとがいて、どう接していいのかを知るために調べていたら、ADHDという病気を目にしたんだ。 あまりに思い当たる節がありすぎる。 パニック障害をそっちのけでADHDを調べるようになって、半ば占いを信じる女子高生のようなキラキラとした感覚で、もう自分はこれなんだろうと思い込むこと以外できなくなっていた。盲信とも言えるかもしれない。

なんか友達が病気になったときに”俺も熱っぽいんだよね!”とか言い出す奴みたいで本当情けないんだけど、まあ顛末としてはそんな感じだ。精神疾患の自己診断なんて、占いみたいなもんなんだな。自分に都合いいとこを抜粋して、自分に似せるような言葉をわざとピックアップして都合良く病気を利用しようとしているに過ぎないよ。自分でもそれは重々承知しているんだけれども、どうしてもみんながみんなこんな想いをしていたり、この感覚とうまく付き合っていっているとは思えないんだよね。自分だけ特別だと思ってるとかまあそれもまたダサい話ではあるんだけどさ。