ここはクソみたいなインターネッツですね

逆にクソじゃないインターネッツってどこ

鬱で退職したSEの戯言

自分語り

昨年の8月頃から、眠れない夜が多くなっていた。その少し前の5月に(ごく僅かではあるが)昇進したこともあって、割と大きい仕事を一つ任されたのが遠からぬ原因の一つであると思う。 8〜9月の段階では、眠れないといっても僕はそれほど重大な問題として捉えていなかった。初めて任される(自分の中では)大きな仕事のプレッシャーを感じるのは当たり前のことであるし、ようやくチームを率いる位置につけるということで少なからず期待で胸がざわついているのも当然のことと自覚していたからだ。

そして昨年9〜10月頃から本格的にプロジェクトが始動し、実際にチームが手を動かす段階に到達した。初めてチームを率いるということで、僕は知識も度胸も不足し、周りから見れば頼りなく映っただろう。プロジェクトの体制づくりもチームの体制づくりも、何より自身の意識が不十分だったと思う。プロジェクト開始から一ヶ月もすると、僕は僕の不甲斐なさからチームに多数の失敗と、幾らかの致命的な確執を生んでしまった。僕はどこまでも甘く、実力不足で愚かだった。

しかしそれでも、大きなプロジェクトを率いているという状況があり、上司と経営陣は僕をさらに昇進させてくれた。今思えば、10月頃に行われた昇進面談の際に「これからもっと頑張ります」と上に宣言したことで、僕は自分にトドメを刺したのかも知れない。

11月に入りしばらくして、僕は完全に鬱病になった。一週間の睡眠時間は10時間を切り、休日や就寝前の仕事をしていない時でさえ仕事に対する不安感に苛まれた。このプロジェクトは本当に最終的に成功するのだろうか、いやそれどころか、役員に毎週のように通告される期日までに、コレは完成さえしないのではないか、今からでも他の頼り甲斐のある人をリーダーに置くべきではないのか。僕は睡眠不足の頭で、四六時中そんなことを考えていた。

プライベートでは、半同棲していた彼女と話すことも減った。それまでは会社の愚痴やらこれからどうしていきたいかなど、飲み屋でグダグダ話すようなことを彼女の迷惑も顧みず一方的に話していた(それもどうかとは思う)が、ついにそれすらも出来なくなっていった。眠れない夜、体をムズムズ動かしたり、何をするでもなくスマホの画面を眺めていたり、突然奇声をあげる、手が震えだす。深夜から早朝にかけて毎日毎日絶え間なくそんなことをやってしまうから、悪いと思いつつ彼女を起こしてしまうこともあった。僕は、彼女の睡眠時間さえ奪うようになってしまっていたのだ。それでも彼女はイヤな顔一つせず、僕に「大丈夫だから無理なら辞めちゃってもいいよ」と優しく声をかけ、返事を待たずにまた眠ってくれた。今思えば聖人かコイツは。彼女が居なければ僕は、10月の時点で自分か他人かを殺していたかもしれない。

そんなことが続いたある日、僕はなんとなく定時で帰ることにした。何か確かなきっかけがあったとは思えない。僕の心の中の、なんらかの堰が悲鳴をあげていたのだと思う。僕は、そのまま夜間診療を行なっている最寄りの心療内科に足を向けた。眠れない、猛烈な不安がある、手が震える。そう医者に告げたら、「死にたいと思うことはありますか」と聞かれたのをよく覚えている。その時僕は、なんと答えたのだろう。覚えてはいないが、「患者さんとは必ず約束をするのですが、命を投げ出すようなことは絶対にしないで下さいね」と目を見て言われた記憶はある。結局、出されたのは抗鬱剤抗不安薬睡眠薬のフルセットであり、僕は鬱病だと診断された。僕は晴れて、自分を鬱病患者だと認めざるを得なくなったのである。

12月に入り、プロジェクトは最終局面を迎える。納品まであと二週間というところで、僕は上司に「仕事がつらい。納品したら、休職をさせてくれ」と頼んだ。昇進を推薦してくれた上司や経営陣に対し、なんと無責任なことだろうか。プロジェクトの性質上、これは納品すれば終わりというものではない。今後機能を改善し、拡販計画をすすめていくことを含めて、これは一つのプロジェクトと呼ばれていたのだから。

しかし僕は、無責任だろうがなんだろうが、自分の生死が関わっているという言い訳を振りかざして何が何でも休むつもりだった。手が震え、禄にキーボードさえ打てない。会議で人の目を見ることが出来ず、しどろもどろでしか喋れない。人をどんどん嫌いになっていき、何より自分が憎くて憎くて仕方がなくなってくる。上を殺したい、下に死んで欲しい、自分が死にたい。もうここでは生きられない。もうこんな地獄では生きられない。もうここを地獄にしたくない。その一心だった。

こうして僕は納品後にすぐさま休職をした。一月二月と経っても、症状はよくならなかった。嫌いになるべきでないと頭では理解している仕事や人も、やはりどこか嫌いなままで、あそこに戻る自分が想像出来なかった。今更戻れなかった。そうして休職期間が満了し、僕は退職することとなった。

僕が本当に鬱だったのか、ただ単に責任の大きさと環境が変わったことで少し気分が乱れただけなのか、それともただの甘えだったのかは今でもよくわからない。甘えと言われれば、甘えだったような気はする。しかしもしあの時自分に甘えなければ、僕はこれ見よがしに会社で首を吊るくらいのことはやっていたと思う。そう考えれば僕はそもそも、採用されるべきでない人間だったのかもしれない。労働に向いていない人間だったのかもしれない。まあ今となってはそんなことを言ってもどうしようもないが、僕は他人から見ても自分から見ても本当にダメなやつだったんだと思う。会社のことはそれなりに愛していたし、会社のダメなところは率先して自分が変革していきたいと、そんな青臭いことを思っていた。けれどもそれも、結局のところただのダメなやつの空回りで、誰かに何かをしてあげることなんて、ほとんど出来ていなかったんだろうなあ。きっと生暖かい目で相手をしてくれていた人達は、本当に嫌いになってはいけない人達だったんだとおもう。

今でも僕は、たまに会社に潰されたとか上司に潰されたとかそんな風な、嘘で欺瞞で利己的でとんでもない思い込みをしてしまいそうになることがあるけれど、そういう自分を今も変えられていないことが、この顛末のすべての根っこなのだろうと、今も尚考えている。