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みなし残業の悪意

ホワイトカラーエグゼンプションとは

一般的に、みなし残業制度とは、ホワイトカラーエグゼンプションという考え方/制度に基づく労働に関する制度の一つである。 しばしば悪く言われることの多いみなし残業ではあるが、その地盤となるホワイトカラーエグゼンプションの本来の考え方は、現状の実態とは少し違う立ち位置を取るものだ。

ホワイトカラーの給与及び評価は労働時間ではなく、実際にあげた成果に由来すべきものでありる。

これが基本的なホワイトカラーエグゼンプションの思想である。旧来の残業代における制度では、生産性が高く仕事を早く終わらせる人間と仕事が遅く無駄に残業をする人間との間に、仕事の量が同等であれ、残業代という制度によって給与に格差が生まれてしまう。これは構造的な理不尽だ。そう、これは制度に含まれる理不尽を無くすべく考えられた、正義の制度であるはずだった。 単純労働が主であった時代ならば、時間単位での生産効率に属人性が少ない故、このような理不尽は起き辛かったと考えられる。しかし、時代は変わり、現代。ホワイトカラーと呼ばれる職種が持つ仕事の量は明らかに増加した。ホワイトカラーの仕事はそれまでの労働というものに対する認識に疑問を投げかけた。ある人は10時間かける仕事をある人は1時間で済ませることがある、なんとなく仕事の性質が変化しているのかもしれない、というところが段々と判明してきたのである。 それに加え、あらゆる市場で競争の激化が起こっているのは言うまでもない。会社は所謂使えない社員というものを雇っている余裕を失くした。あるいは、情報化によって企業が各社員の生産性を明確に測れるようになったことも大きい。ともあれ、社会は生産性というモノの存在をようやく認識しはじめ、既存の制度では人や仕事を評価することは出来ないのではないか、と現代に合った制度を模索するようになる。 そこで生まれたのがホワイトカラーエグゼンプションという制度である。この成り立ちから、ホワイトカラーエグゼンプションそれ自体に批判を受けるような欠点はなく、時代に合った制度を設けようというただそれだけの話であったことがわかる。

みなし残業の悪意

では、なぜそのホワイトカラーエグゼンプションの一環であるみなし残業制度が批判を受けることになるのか。それは、このホワイトカラーエグゼンプションを悪用し、成り立ちを無視して見かけ上だけこの新制度を取り入れる企業が出てきたことに由来する。

会社の給与というものは、基本的に基本給と各種手当の二つで構成されている。 例えば基本給が20万であるとして、役職手当や家賃補助、交通費補助などを付与して給与総額が額面上30万になるとしよう。労働時間は09-18時昼休憩抜きで8時間とする。

ここでもう一度ホワイトカラーエグゼンプションの思想を確認すると、給与と評価は労働時間に対するものではなく成果に対するものであるべきだ、というものである。

この思想に基づき、日本においていくつかの先進的な企業は、以下の三つの制度を試験的に導入しはじめた。

  1. フレックスタイム制
  2. 裁量労働制
  3. みなし残業制

※ 当然今回は3のみなし残業制に関する話を取り上げるが、問題の本質的な構造は3制度共に変わらないことのように思う。

本来のホワイトカラーエグゼンプションの思想とみなし残業制度を照らし合わせると、みなし残業の文脈は以下のようなものになるのが自然と言える。

  • 一人当たりの平均残業代を全員に付与すれば
  • 生産性の高い社員は早い帰宅時間と残業代を
  • 生産性の低い社員はこれまで通りの残業代を
  • 理不尽なく正当な報酬を得られる

しかし、実態はこの通りではない。

基本給の一部をみなし残業代として付与することで、残業代を節約している企業がある。とても卑怯なやり方だ。そもそものみなし残業制度の成り立ちを考えると、ホワイトカラーエグゼンプションの思想に真っ向から対立するやり方であると言える。

大学生諸君や社会人の皆様、世間がみなし残業についてあれこれ言っているのはこういうことなのである。日本の一部の企業では、上記のような悪意のあるみなし残業制度が取り入れられている。みなし残業そのものはそもそも悪いものではない。悪用している企業がいる、ということなのである。