ここはクソみたいなインターネッツですね

逆にクソじゃないインターネッツってどこ

何もしないクソニート、ということについて

「太陽フレア」 きょうGPSなど障害か | ホウドウキョク

太陽フレアGPSや通信機器に影響を及ぼす可能性があるらしい。これはつまりグーグルマップを頼りに都会に出てきた女子大生が一時的に路頭に迷う可能性があるということで、僕はその女子大生らを保護して匿う備えを急速に進めている。それと同時に今日の労働者時代の先輩と会う予定もキャンセルしてしまいたいワケだがなかなかそうもいかないのが困る。

ニートをやっていると、こんな風に昔の先輩や同僚、大学の友人から何か仕事の誘いを受けることがある。とてもありがたいことではあるが、僕は今ニートをやりたくてニートをしてあるため色好い返事は出来ていない。僕がニート期間である今、常に自分に問うていることは「お前が本当にやりたいことはなんだ」ということである。意識の高い人は大学時代に自分探しの旅をするという。僕はこの充電期間をもって自分が本当にやりたいことと絶対にやりたくないことを探し当てるつもりである。そのために今なにをしているかといえば、なにもしていない。勘違いしないで欲しいのは、すべきことがあるのに何もしていないのではない。「何もしない」ということが今僕のすべきことなのであり、僕はそう信じてそれに従っているのである。何かをしながら何をやりたいか考えると、どうしてもその今現在していることに考えが寄ってしまう。エンジニアだった僕はやはり次働くとすればまたエンジニアとしてなんだろうとどこかで考えてしまっているし、今仮にエンジニアとして誘ってくれている方々の仕事を手伝ってしまえばその道以外はより見え辛くなるだろうとも考えている。 何もしないということはなかなか難しい。しかし、なんとなくその場で思いついたような軽い気持ちや、必ず労働という形で社会に携わるべきだという自分自身のあやふやな認識、これらを取り除かずして再度仕事を始めてしまっては、僕は鬱で退職という同じ過ちを繰り返すことになる気がする。

仕事をしていたころ、PDCAサイクルというものについて会社の経営陣が口を酸っぱくして話していた。僕が今やっていることも結局のところ似たようなことをしているのだと思う。ミスをしてしまったから、次はどのようにすれば同じことを起こさないか考え実行する。PDCAサイクルなんて大仰なことを言っているけれど、人生においてそんなもの誰もがやってきていることだと思う。遊びでも恋愛でも学業でも友達付き合いでも、うまくいかないことがあれば相手を変えるなり自分を変えるなりやり方を変えるなり僕らは常に対策を講じ、また大仰な言葉を使えば僕らはいつも'カイゼン'してきたはずだ。ビジネスマンは当たり前のことをそれらしく言うのを好む。そう言った知識(僕からすれば知識ではなく嗜好な気もする)を名刺がわりにして、自分がビジネスマンであるとアピールしているのだろう。大切なのは言葉でも言い方でもなく、論理の理解と組み立て方であると僕は思う。話が逸れた。

他の人から見れば僕の今の状況は甘ったれなクソニートそのものではあるが、僕としてもまあ心の底ではそう自分のことを見ている。しかしクソニートをこれ以上拗らせるわけにいかないのは他の誰でもなく僕自身が最も痛切に考えていることであり、僕は自分自身をよく考えた末に「何もしない」という行動を選択したのである。何もしていない期間に、これがやりたい、と思いを重ねられたものこそ本当の気持ちであると今のところは考えている。悲しいことに、今はまだ「何もしない今を続けたい」と考えてしまってはいるが、それも一つの本当の気持ちかもしれない。いずれ社会がもっと僕に揺さぶりをかけてきて、ニートのままじゃ生きていけないと明確に突き付けられたとき、ならば僕はこれをしたいと確固たる意志を持って応えられるよう、自身に期待をしている。もしそれで、何もしたくないから限界まで何もしない、という答えが出たとしたら、僕はどこかで野垂れ死ぬだけだろう。その時は恐らく僕の考えは歪んでいて、産み落とされる時代か環境を間違えたのだと自己弁護をしてさっさと死ねばいい。

せめて人に迷惑はかけない形に納得が出来ればいいな。