ここはクソみたいなインターネッツですね

逆にクソじゃないインターネッツってどこ

舌を舐める

やりたくもないことをしていると、自分自身とか自分の人生がどんどん摩耗していくばかりな気がしてしまう。

くだらない飲み会に使う時間も金も、全部人生を犠牲にしているって考えちゃうとなんだかね。 こんなことのために働いているのか、という命題からはこの先もずっと逃げられないのかもしれない。

じゃあ逆にさ、これをしている間は削られないっていうことはあるのかな。ふと今までを振り返って来て、これをしてよかったとか、これだけをしてたいとか。そんな風なことがあったろうか。

まあなんとなく楽しかったこと位は俺にもあるけれども、しかしそれが人生最高の瞬間と断言することは出来ないな。

その言い方をすれば、一方ではこの先の人生に希望を持っていると捉えることも出来る。けれども、これまで至上の瞬間を感じていないと捉える方が俺にとっては自然だ。

モテたくて始めたバンドのライブが成功したとき、まさに理想といえる女の子をみた時、友人とバカな話をしているとき。 全部素敵で嬉しい体験ではあったけれど、なかなかそれが最高だと言い切ることは難しいね。

時とともに精神は肉体は摩耗していくだなんて哲学的なことを言いたいわけではなくて、なんだかもっと「なんとなく自分っぽいもの」が削れていっている気がするんだよね。

例えば今まで、何かをしたいという気持ちと、何もしたくないという気持ちの総量を測っていたとしたら。何もしたくない、が90%以上を占めると思うんだよ。 よく、幸せと不幸は結局プラスマイナスゼロになるとか言うけれども、今のところそんなことないと思うね。今不幸だから、この先それが補完されるとバカみたいに信じる奴はいないよ。例えそう信じるしかない状況に陥った人がいたとして、なんならそれこそが人生最大の不幸だと俺は感じる。

自分が摩耗しない時間とか空間とか行為って、一体なんなんだろうね。空気に触れているだけで石が風化するというのなら、呼吸をしているだけで人も酸化するだろうよ。

俺の話をすれば、ガリガリとエネルギーを削って、足りなければ身も心も差し出して。そうやってボロボロになった先に、きっと何もしなくていい空間、あるいはそれをくれる人が存在しているという希望に縋ってなんとかやってきた。 それがアルビノのように白くて細くて華奢で貧乳で俺のことを好きすぎてたまらない女の子であったり、そのこの胸のなかであったら尚いいと夢見てなんとかやってきた。

でも現実はさ。 たとえそれに近い女の子がいたとしても、男は守らなければいけないとか、俺にそんな魅力があるのかとかさ。そんなふうなノイズが鼓膜の中から鳴り続けているのさ。

やってらんないよね。 電車の2両先に座る女の子でも好きになれるこの俺が、なんでこんなにも好かれないんだろうか。身を捧げるばかりで、いつもいつも何かをくれる人とすれ違ってしまうんだろうか。