ここはクソみたいなインターネッツですね

逆にクソじゃないインターネッツってどこ

一年ニートをした僕がニートとして感じた「生きづらさ」について

なぜ再度働こうと思ったのか

僕は、去年の12月から鬱になり休職をした。休職期間である三ヶ月を過ぎても病状はよくならなかった為、そのまま辞職をした。

働きたくない、働きたくない。僕はその一心で日々怠惰を貪っていたのである。

結論から言って、長きに渡るニート期間を経ても未だ労働意欲は出ていない。

働きたくないという気持ちは少しずつ薄れては来たが、働かないでいいのなら働きたくはない。当然だ。

ではなぜ、僕はそんな状態のまま就職活動を始めようと思い立ったのか。

きっかけは前の会社の先輩が誘ってくれたことだった。

正直そんなに乗り気ではなかったのだが、お誘いを無碍にするのもアレなので話を聞いてみることにした。

業務内容は、前職と同じシステムエンジニアPHPを用いた広告関連の事業をしているらしい。

ニートが就職するとなると正直に言って給与なんか選り好みしている場合ではないのだけれども、今僕は働かずとも傷病手当を貰えている状態。ダメ元で前職と同等か上回る給与は出せるか聞いてみた。

多分出るらしい。

その他気になる点、例えば年間休日や有給消化率、残業の有無やみなし残業制度の有無、より具体的な業務内容なども聞いてみた。どこかに落とし穴があるんじゃないかと粗探しをしたのだが、最終的には少なくとも前職よりは良いところのように思えたし前職の経験も十分活かせそうだった。

ちなみに、今週中にその会社の役員と面談をする約束をし、まだそこに入社するかどうかは決まっていない状態である。

僕としては、意外だったのだ。一年に渡るニート生活を経た僕でも、そんな高待遇で雇ってくれる会社があるのか。自身の価値を疑問に思ったので、ものはためしと各転職サイトに職務経歴書をアップロードしてみた。

結果、かなりオファーがくる。

これってもしかして僕それなりに市場価値あるんじゃねぇ?という思いが芽生え始め、まあその先輩の会社に決まらずとも雇ってくれる会社はありそうだと非常に安心した。

それに加え、現在の経済状況を説明しておこう。今の月の収入は傷病手当だけである。 僕の場合は17万ほど月々振り込まれる。

2万は健康保険料に消え、昨年の収入準拠の住民税なんかは二ヶ月ごとに5万程度もっていく。家賃云々で毎月6〜8万程取られ、食費に三万程かかる。

正直かなりキツイ。

こんなような状態なので、金銭的に心配事ばかりの毎日を送っている。このままでは、鬱を療養しているにもかかわらずむしろ心配事ばかりで症状が悪化していくのではないかという思いもあって、そろそろ働き始めようと考えたわけである。

ニートのつらみ

ニート時代、やはり働いた方がいいのかな、働いていない人はこの社会では生きられないのかな、と思うことが多々あった。

ニートになったことのない人やこれからニートになる人のために、僕がニートで苦労したことを記しておきたい。

  • 引越し

引越しをするとき、ニートだった故保証会社や保証人のところで非常に苦労した。付き合っている彼女の名義で借りてもらおうかとも思ったが他人に迷惑をかけるのはたとえニートだとしても気がひける。保証会社からは「どうやって支払いしていくつもりですか?」と容赦のない質問をされ、不動産会社では「コイツニートかよ」というような表情をされる。

彼女が不動産会社に付き添ってくれたけれども、職業欄に「無職」と書いているところをみられるのは精神的になかなかクるものがあった。

なんとか審査のゆるい保証会社を不動産会社が見つけてくれたおかげで、賃貸契約を結ぶことができた。しかし中々ニートを受け入れてくれるところはないのだ。無職は住所さえ手に入れづらい。一度ニートになってしまったら、なかなか住所も手に入れられず再就職も厳しいものとなる。

  • 親族への心証

兄弟には「鬱になって仕事辞めました」と早めに伝えたが、いかんせん親には言いづらい。というか今も言っていない。

お父さんお母さん、僕実はニートなの。

この一言を実際親に言う想像をしてみてほしい。

親の悲しむ顔が眼に浮かぶ

こんな悲しい世界があっていいのだろうか、僕は仕事を辞めたというだけでこんな悲しい世界を作り上げてしまったのだろうか。ニートという現状について、こういうことを考える時最も辛い気持ちになる。

そもそも親兄弟に合わせる顔がない。無駄に心配もかけたくないし、鬱だということも伝えたくない。

ちなみに親戚の集まりが来月にあるらしいが、どうしようか悩んでいる。どんな顔をして行けばいいのか、そもそも出席するかどうかも考えねばならない。そのタイミングで親にも無職であることを伝えようかな。親戚の前で恥をかかせないようコッソリと伝えようかな。

そんな気苦労もニート特有なものだと思う。

  • 彼女への心証

今付き合っている彼女とは将来的に結婚をするつもりだ。しかし彼女はまだ学生なのでニートというもののクズさをよくわかっていない節がある。彼女が社会に出てしまったら、ニートだということの罪に気付きもしかして僕は捨てられるんじゃないかという不安がある。

まだ結婚の約束も出来ていないから大げさな話ではあるのだが、しかし実際結婚を申し込むとなるとやはり定職の有無は自分自身のプライドに関わる問題だ。

無職というのは聞こえも悪いし不要な軋轢を生む危険がある。彼女が働き始めたら一体どうなるのかという不安はとても大きい。

  • 友人らの心配

ありがたいことに数人の友人から「お前大丈夫か?」と声をかけてもらえている。

「全然大丈夫だよ」と言いたいのだがなかなか嘘はつけない。「なんとかやってるよ」というのが精一杯なところである。

大丈夫、と言うことはまだ多少キツイなあ。大丈夫じゃないからこんな状況に陥っているのだから。

しかしまあそんな彼らに対しても心配をかけたくないという思いがある。こんなクソみたいなニートに気を遣ってくれるのだからやはり友人というものは大切にしていきたい。

  • 世間体

ニートというのはやはり、世間の嫌われ者であることは間違いない。ニートをやっている、というと「あいつはダメなやつだ」という見えないレッテルを貼られることになる。

これは何が起きたというわけでもなく日々常々感じる「視線」のようなものであって、誰かに何か直接言われるわけでもないのに僕に重くのしかかってくる。

自意識過剰なのかもしれないが、保険頼りに生きていて社会に迷惑をかけているという自覚がある。僕なんて生産性のない人間だ。生産しているのは怠惰な生活とウンコだけ。下水にウンコを流すことくらいが僕と社会の関わりで、被害者面するのもアレだが社会から隔絶されているような気がする。

  • 住民税と保険料

住民税は前年の収入に準拠する。働いていた頃の収入をもとに計算されるので、無職になったとすると非常に重い負担になる。

保険も同様だ。僕の場合は前職の保険を任意継続しているが、毎月2万程とられる。

先述したが月の収入は17万の手当てのみとなるのでこれはかなりキツイ。今からニートになろうという人は少なくとも二、三ヶ月分の生活費は確保しておくべきだ。傷病手当だけではかなりキツイ生活を強いられる。

  • 諸々の手続き

傷病手当を受け取ろうという場合、失業保険の延期、厚生年金から国民年金への切り替え、健康保険の任意継続など諸々の複雑な手続きが必要となる。

鬱病の患者にこんなことまでやらせるのか、というほど面倒な作業だ。ニートになるのも簡単ではない。鬱病で起き上がるのも辛いなかハローワークや年金事務所まで赴いて何度も何度も氏名住所を書かなければならない。

やはり風当たりが厳しい。

手続きする元気もない中、彼女の協力があってなんとか重い腰を上げることができた。正直この子がいなかったら全てが面倒になって自分で命を絶っていたと思う。

ニートを今振り返る

まだ絶賛ニート中の僕ではあるが、一応就職活動を始めようと考えている今、ニート生活を振り返ってみる。

正直に言って、ニートは楽だ。働かないでいいし、毎日何時に起きるかなんて気にもしないで生活できる。なにかやらないといけないこともないし、気持ちの面ではそれなりの余裕が得られる。

しかしながらやはり、ニートならではの苦悩というものがあった。

これは人生において中々経験できることではないし、いい充電期間だったように思う。

まだ鬱が完治したとは言えないが、この一年は僕にとって非常に実りのある一年であった。働いていた時は仕事が全て、仕事の悩みが常に絶えない状態であった。今では一旦仕事というものに対して距離を置いたことで、一定の客観性を持って労働というものについて考えられるようになったと思う。

人生を消耗してまで働くことはない。そんな仕事なら辞めてしまえばいい。辞めるときには次を決めておけば良い。

仕事だけに一生を費やすのはバカらしい。仕事にやりがいを感じられればいいが、それよりもプライベートを何より大切にすべきだと今では心底思えている。

職歴に空白期間ができてしまうとか、現役でなくなってしまうとか、そんなことって意外となんとかなるもんだと思う。大したことじゃあない。

そう思えるようになったということが何よりもこの一年で得られた最も大きな財産だ。

ニートは楽だが、ニートはキツイ。仕事を辞めるということはかなりカロリーを使う大変なことだと思うけれど、しかしニートをやってこそ見えてくるものはあると思う。オススメはしないけれども、一度ニートを経験することで自分と向き合うチャンスを得られるのは保証する。

仕事と人生に疲れた人は是非、傷病手当や各種制度を利用して一旦休憩の期間を設けてみてほしい。

それでもやはり人生に希望が見えない時は、それから考えればいい。

今になって僕が思う本当のことは、そういうことだ。