ここはクソみたいなインターネッツですね

逆にクソじゃないインターネッツってどこ

幸せだったよ、と母は言った。

母から、突然の長文メールが届いた。

僕は、心を病んでしまっていたこと、仕事を辞めてしまっていたことの後ろめたさからあまり家族に会わないようにしていた。これまでずっと、心配をかけないよう特に母には自分の状況を伝えていなかった。いや、伝えていなかったのではなく、隠していたという方が正しいのかもしれない。

祖父を喪った祖母のため、先日親戚一同で慰安旅行に行った。僕と母は数年ぶりにそこで再会し、何年もの空白を埋めるかのようにたくさんの話をした。僕も出来るだけ正直に、けれども心配をさせないように、鬱だったこと、仕事を辞めていたこと、それでも今再起しようと努力をしていることを僕が知る最も柔らかい言葉を選んで伝えた。

子に「死のうと思っていた」と言われた親の心境はどんなものだろう。母は心配したのだろうか。今はもう大丈夫なんだと聞いて少しは安心してくれただろうか。言わない方が、母にとってよかったのだろうか。

そんなことを考えて少し不安に思っていると、母は、お母さんもそういう時期があったんだよ、と父とうまくいっていなかった時期の話や子供達が自立してしまった時に感じた喪失感、母親コミュニティにうまく馴染めず閉じこもってしまっていた時期の話をしてくれた。生きたいとか死にたいとか、未来や生活に関する漠然とした不安とか、自分が本当にしたいことがいまだに分からないとか、それがとても恐ろしいとか、そういったことを生まれて初めて親と赤裸々に語り合った。いくら血の繋がった家族といえど、家庭という空間では親や子はそれぞれのそれぞれらしい役割を求められる。息子として求められる規範、母親として求められる規範。僕は僕自身の認識として、社会人一年目の段階で子供としての仮面を外した。子供達が全員自立していき、ようやく母も母親らしい仮面を外すことができたのかもしれない。母と僕の語らいは既に、互いに仮面を外した純粋な個人同士、二人の対等な人間同士のものとなれたような気がした。

僕は母に全てをぶちまけ、母は母で人生の暗い部分を隠すことなく晒してくれた。僕はこのことにひどく安心し、肩の重荷や家族というコミュニティのしがらみ、後ろめたさやぼんやりとした不安の数々が取り払われたかのように感じた。母は自分の人生を恥じることなく受け入れ、僕は僕の人生を恥じることなく送っていく。母と交わした会話の内容は暗い告白に終始したけれど、しかし母と僕の心に湧き出た感情は決してネガティブなものではなかったように思う。

それから幾日か経った後、冒頭に書いたように母から突然の長文メールが届いた。 母からのメールには、こんなことが書いてあった。

「お母さんは、辛い時、しょうきが一緒にいてくれたり、何気なく褒めてくれたりして、乗り切れました。幸せだったよ。しょうきが幸せなことがお母さんの幸せ。」

祖父を喪くして一人ぼっちになってしまった祖母が一回り小さくなってしまったこと、あんなにプライドが高く元気なふりをしていた祖母が車椅子に座ることを恥ずかしがらないようになってしまったこと。きっと母は、祖母の姿を見て次は誰が喪われるのか、そしてその次の順番はおそらく自身の世代なのだろうと感じたのだと思う。「幸せだったよ。」という彼女の言葉に僕はとても衝撃を受けた。なんとなく、死を覚悟した人間の言葉なんだということが分かってしまったのだ。自分にとって死はそう遠いものではない。このメールは、きっと母のそんな気付きから出たものだ。言葉一つ一つにあまりに重い感情がこもっていた。

もしこれが母としての仮面を外した彼女が心底思っている結論だとすれば、僕ら親子はようやく対等に健全に、母と子ではなく二人の人間として、心の底から湧き上がる家族愛を持ち合えるようになったのかもしれない。

親が死ぬ覚悟をした。僕は何を思えばいいのだろう。もしかすると、子供に死のうと思っていたと告白された親の感情と、今僕が抱いているこの言葉にできない気持ちはとても似たものなのではないだろうか。