ここはクソみたいなインターネッツですね

逆にクソじゃないインターネッツってどこ

全人類がTeam Geekを読めばいいのに

Team Geek ―Googleのギークたちはいかにしてチームを作るのか

Team Geek ―Googleのギークたちはいかにしてチームを作るのか

僕はエンジニア二年目だか三年目だかの時に、先輩に勧められて一度この本を読んだことがある。その後しばらくして僕はリーダーと呼ばれるような立場となり、チーム開発や自分の仕事、世界そのものと自分自身をとても嫌いになるようなひどい経験をした。僕は鬱を理由にそれらのことから逃げ出して、逃げられるだけ逃げようと決めた。社会から、自分自身から遠ざかってしまいたい。当時はただその一心だった。そんな僕は、なんの奇縁か今再び似たような業界で、まさしく嫌悪していたはずのチーム開発をしている。

僕がこの本を改めて今読んだ理由は、チーム開発に対するトラウマを克服するため、また何故僕はあの時失敗し身も心もバラバラに散ってしまったのか、それを知りたかったからだ。そして僕は今それ以上のことを知った。この本が最高の本だということ。そして、死ぬほど苦しんだあの時期にこそ読むべき本だったということ。

当時は、一緒に働く人を信頼し、尊敬し、そして自身は謙虚であるべきだというこの本の願いや、その重要性を真の意味では理解できていなかった。断言する。Team Geekは単なる自己啓発本などではなく、地獄とクソをミックスして焼き上げたようなこの社会から自身を守り、また少しでもその地獄を歩きやすくする方法をまとめたガイドブックのようなものだ。僕はそれを知らずに、足裏を糜爛させながらトボトボと焼けた地面を歩いていた。少しすると当然脚は使い物にならなくなって、四肢を使い果たした頃にはもう手遅れだった。身体も心も社会や人間との摩擦で削られて、僕は僕の半分くらいを失ってしまっていた。

僕は元来、自己啓発本と呼ばれるような本はあまり好きではない。どうしても偉そうに講釈を垂れられている気がしてしまって、反発してしまう。それこそ流行の自己啓発本をいくらか読んで出て来た感想は「わかってるよ、うるせえな」という程度のものだった。それは今でも変わらない。偉そうに自己啓発本を読めと言ってくる人間も大抵嫌いだ。そういう奴らが彼らのいう大切ないくつかの習慣を本当に習慣付けているところを見たことはないし、何かを引き寄せているところも見たことはない。彼らは嫌われる勇気を持つのではなく、もともと自分のことしか考えていないから嫌われてもなんとも思わない。これからの正義の話をするのではなく、自分自身が正義であることを主張する。ああ、悲しい哉。本自体は偉大な本であっても、君はその本ではないし、その本を書いた人間でもない。その本を君から勧められたとして、何故僕が読む気になると思うのか。何故そんなにも無自覚に正しさを押し付けられるのか。というか大体あいつらは、一体いくつの習慣を身につければ気が済むんだ。何か自分が成長しているっぽいエビデンスとして自己啓発本を読んでいることなんて、君が無自覚だとしても、みんなが気付いているよ。それらしいものを消費できれば、もはやなんでもいいのだろう。

話が逸れた。信頼と尊敬の重要性を語るこの本を紹介するにはふさわしくない吐露だった。ごめんなさい。

ではなぜ僕がこのTeam Geekについてだけは自己啓発本ではなく(しつこいようだが地獄とクソとゴミと嘘を捏ねて叩いて整形せず焼き上げたようなこの恨めしい社会の)ガイドブックだと称し、わざわざ日記まで書いているのか。それは偏にこの本が人々に寄り添うものだからだ。上からものを言うでもなく、正しさを押し付けることもない。この本に書いてあることは、著者らの痛み、こうしたらなんとなく上手くいったという経験、痛みを繰り返さないように気をつけていること。基本的にこの三つに終始する。それを主張や説教などという強いスタンスに乗せるのではなく、読者に対する親しみを込めた語りかけという優しさに乗せている。寄り添うというのはこういうことだ。不思議な世界に連れて行ってくれる本や、ドラマティックな日常に巻き込んでくれるような本、正しい道を歩ませようとする本、反骨精神を呼び起こしてくれる本。たくさんの本を読んだけれど、僕はこんなにも友人と話しているような気分にさせてくれる本に出会ったことはない。

この本が多くの人に読まれ、皆が皆生きやすい社会を作る一員となってくれると僕は嬉しい。そして僕も、その社会の中で車輪となるのであれば本望だ。