ここはクソみたいなインターネッツですね

逆にクソじゃないインターネッツってどこ

もっと本を読みたい、もっと文章を書きたい。

昔から、物語を読んだり観たり聴いたりすることが好きだった。というより、僕にはそれしか熱中できることがなかった。それにもかかわらず、最近では本を読むことがめっきり減ってしまった。精々週に一度か二度、長い通勤時間を利用して青空文庫をペラペラとめくるくらいだ。

最も好きな作家は坂口安吾で、次がゲーテ、並んで森鴎外とヘッセ、中島敦山田詠美。この並びを見ればわかる通り、僕の好きな物語に確固たる系統はない。敢えて言うのであれば、あまりに情熱的な、魂から溢れ出たような文章が好きなのだ。それが織り交ぜられた物語に、心から圧倒されることが好きなのだ。話自体が面白いとかつまらないとか、設定が面白いとかそんなことは関係ない。デカダンだろうがフェチズムだろうがナルシシズムだろうが諦念だろうがフェミニズムだろうが、どんな姿勢でどんなメッセージを発していてもかまわない。一文一文に込められた熱量、魂、そのあまりの迫力に打ちのめされるあの感覚に取り憑かれてしまって、たまらないんだ。僕は文章と物語に、憧れていたい。

中学生頃から、友人と過ごさない時間の大半を読書に費やした。大学では、映画を撮りたいという友人に脚本を書いた。今思えばあの稚拙な短編物語を短編映画にまでしてくれた彼には感謝の言葉もない。僕の物語への執着は、ずっと続いた。それどころか、年々その激しさを増していった。初めてオズの魔法使いの絵本を読んだその時から、一度たりとも物語から離れたことなんてなかった。

それなのに、仕事が、生きるためにお金を稼ぐということが。僕が一番大切に思っていたものを奪ってしまった。あるいは、僕が一番大切にすべきだったものは、生きるために働くなんてことではなくて、この思いそのものだったのかもしれない。

それでも今、僕は欲しい本がたくさんある。ほしい物リストにはたくさんの本が入っている。

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どれもこれも、仕事をうまくやるための本、自分の能力を磨くための本ばかりだ。僕はそれが悲しい。昔は本に実利なんて求めていなかった。僕が好きだったのは教科書ではなく、物語だったはずなんだ。いつからだろう、本が何かを与えてくれるものだと勘違いし始めたのは。本は、読み手が何かを感じ取るもので、あちらからは何もしてくれないものだって、ずっと思ってきたのに。

僕は、物語をもう一度取り戻したい。仕事や、嫌な人間関係や、茫漠と横たわる人生の不安は絶えず僕を苦しめている。生活に追われ、本を読む時間だってほとんどない。それでも僕はこれから、たくさんの本を読もうと思う。たくさんの文章を書こうと思う。そうして僕は物語を、僕なんかでは敵いっこない尊い魂に圧倒されるあの快感を、この手に取り戻そうと思う。