ここはクソみたいなインターネッツですね

逆にクソじゃないインターネッツってどこ

極楽ももう午に近くなったのでございましょう

人の群れが酒を求めて荒川を渡っているという。なんとも動物的なように見えるこの行動も、実際のところストレスに対する正常な反応だと言える。衛生の分野では、ストレスに対する能動的な対処行為、または反応を「コーピング」と呼ぶ。コーピングの中にも種類があり、ストレスの元となる問題を解決するよう動く対処のことを問題焦点型コーピング、物事の受け取り方を変えたり気晴らしをして感情のコントロールを試みることを情動焦点型コーピングと呼ぶ。彼らの場合はもちろん後者で、情動焦点型、さらに言えば気晴らし型のコーピングを実践しようとしているのだと思われる。手段が飲酒や交流だというのはご時世にそぐわないものの、その目的がストレスから自分を守ることであるとすれば、彼らなりの辛い思いや背景もあるのだろうと考えてしまう。もちろん彼らのせいで怖い思いや辛い思いをする方もいるかもしれないから倫理的に正しいとは言えない。しかし、彼らは彼らでそんな行動をとってしまうくらいに限界なのかもしれない。埼玉や神奈川でお酒が飲めるという希望は蜘蛛の糸のようなもので、そこに群がる思いは存外切実なのかもしれない。擁護する気はないが、もう彼らは向こう岸に着いてしまっただろうからせめて、おしとやかにたらふく酒を飲んで、速やかにいい気持ちになって、幸福な明日を生きられますように。

このご時世になって知ったのは、大体のものは0か100かでは動けないということ。全員外出禁止、仕事は全てリモート、電車も止める、というような極論を叫んでいる人もいる。現実的には、「そうはいっても」という折衷案というか、ある程度妥協した方針にまとまることがほとんどだ。実際、政治や社会というものはとても複雑で考慮すべきことが多すぎるし、向かうべき最大多数の最大幸福とは果たして何なのかを探るのさえ難しい現状がある。社会人病というか、論理的な能力が求められる仕事をしていると、何にでもすぐに結論を導き出そうとしてしまう癖がつく。網羅的に全てのことを解決したり一気にV字回復へ進もうとするその姿勢は、ビジネスでは大いに役立つ能力であったりする。けれども人間が複雑に絡み合う場ではその方法が最高の解決法であることは少ない。そもそも結論が出せないとか、なんとなくの結論を出してしまうことで逆に行動が取れなくなることもある。正論で人は救えない、という揶揄いがあるように、正解のないことを手探りでやっていかなければならない場面もあるということなのだろう。実際、完璧な計画を立てたとしても全てを計画通り、システマチックに進めていくとこは非常に難しい。システム開発の現場でもよくある話で、当初のアイディアから紆余曲折あって、当初期待していたところとは別の地点にたどり着いたりして、しかしそれでもそれなりに価値が生まれ始めてしまったりして、まあこれはこれでいいかという共通認識が生まれたりする。オリンピックやGoToキャンペーンなど、それ今やる必要ある?と脊髄反射で言いたくなるようなこともきっとこんなように、そうはいっても、という力学が裏側で働いているんだろう。

最近よく話す友人は、散漫な話をする。喋り出しはそれまでの話に関連が強そうなトピックを話し出すが、しかしだんだんと違う話になっていき、最後の方には今何を話しているのか自分でも見失っていたりする。結論よりもむしろ過程の部分を話していて、私や他の友人の意見が聞きたかったり、一石を投じたかったりしている様子だ。こういった会話はコストが高いから、面倒に思う人もいるかもしれない。しかし、私はそれはそれでいいというか、そういった会話も好きだな、と思う。いろいろな話が聞ける分、話していてとても楽しいし、自分の中で正解を持っているわけではなく本当に一緒に考えていきたいんだな、と前向きに話を聞く気が出たりもする。仕事の話ではないから、そんなような散漫な話はむしろ癒しになるし、そういった話し方ができる友人がいることは幸せなことである。この人はこの話がしたくて、話相手を探していたんだろうな、と思うと微笑ましく思う。ちゃんと論理的思考を働かせれば彼の話をまとめてリードすることもできるのかもしれないが、私が本当に興味があるのは彼の話というより彼の感情や性格の部分なので、話が多少脱線したところでなるべく止めないようした方が会話を楽しめると最近気づき始めた。そして、表出している問題は実際には大したことではなくて、その感情や性格こそが実は本質であったりするから、結果的に見るとコミュニケーションの効率が悪いかというと実際そうでもない気がする。傾聴、というほど高尚なものではないが、その人とより楽しくコミュニケーションができるようになる作法のようなものはきっとあって、それを知ることで会話が増え、好きになれる人が増えるのであればそれはとても良さそうだ。これからもいろいろな人と話して、学んでいきたい。