ここはクソみたいなインターネッツですね

逆にクソじゃないインターネッツってどこ

ほうっておけない

2023年はひどい年だった。それなりの数が重なってしまったこれまでの年の中で、最も嫌な時期の一つだった。 冬から春にかけ、これからの人生をずっと共に歩いていくんだろうと思っていた人とはもう一緒にいられなくなり、酒を飲んで日々を早送りすることが増えた。梅雨には、飼っていた小鳥がある朝冷たくなっていた。今もずっと、鳥小屋の掃除をしないといけないな、というチクリとした感情が頭と心の片隅にある。夏は仕事上のトラブルや人間関係から眠れない夜が増え、ようやく眠れた時には虫に刺され歯が抜ける夢から汗だくの状態で目が覚める。医者からは睡眠導入剤抗うつ剤を処方され、冬に受けた血液検査では胆のうと肝臓の数値に異常があると言われる。こんなにたくさんの薬を飲んでいるのだから、肝臓がつかれるのは当たり前のことに聞こえる。マッチポンプにしてももう少し不安をあおらない形でやってほしいと思った。薬剤師によると、どうやら僕が飲んでいる睡眠導入剤の副作用には悪夢があるらしい。それは今年の中で唯一腑に落ちたというか、納得ができた事柄だったかもしれない。結局、いつもやりもしない、年末の大掃除でどうにかしようと思っていた鳥小屋は今もまだ手付かずのままになっている。

2024年はいい年になるといい、そう神頼みでもしようかと元旦に詣でた神社のおみくじは小吉だった。地元の消防隊員らが列の整理をする神社の社務所、その行列の先に100円のおみくじと200円のおみくじがあった。お賽銭の五円玉を取り出す際にいくつか百円玉の存在を確認したこと、そして2023年はひどい年だったことが頭に浮かび、僕はとっさに200円のおみくじを選んだ。200円のおみくじには、神使をかたどった小さなお守りがついてきた。僕には、100円分の価値として付録された金の小さなカエルのお守りが、僕が200円の高いおみくじを選んだこと、もう少し言えば、100円の安いおみくじを選ばなかったことを象徴しているようにも思えた。

今日、ガスコンロの電池が切れそうだというランプがついていたので、医者の帰りに電池を買うことにした。必要なものは単一か単二の、いつもなかなか使わない規格の電池であったことはうっすらと覚えていた。実際に陳列されている電池の大きさと、記憶の中にあるガスコンロの電池入れの大きさを比べようと考えていたが、電池がレジ前に陳列されていたせいで、ほかの客の並びが気になってゆっくり記憶をたどることができなかった。急かされるような思いをして、なんとなく手に取りやすい単二電池を選んだ。医者と買い物という二つの目的を一度の外出で達成できた、そういう類の満足感を胸に帰宅する途中、やはり単二電池はどうも小さいような気がしてきてしまい、結局は単一電池も買って帰った。