ここはクソみたいなインターネッツですね

逆にクソじゃないインターネッツってどこ

フリーランスになって知ったこと。そして僕は星になりたいと思った。

泥臭さが必要

去年会社を辞めてから、フリーランスとして細々と仕事をしている。フリーランスと言えば聞こえはいいかもしれないが、潤沢な案件在庫から技術的にチャレンジングなものを選んでカフェでササっとコードを書く、というようなスマートな働き方というわけではない。

自分から案件を探すこともなくはないが、基本的には知人や友人から紹介されたお仕事をありがたく頂戴する形がほとんどだ。それは僕が案件獲得のためにあまり積極的に動けていないというのもあるが、案件を獲得する工程の大変さを思えばそれも仕方のないことかと思う。

クラウドソーシングサービスなどから自分が出来そうな案件を探しても、当然すぐに「じゃあお願いします」となるわけではない。多くの案件がコンペ式となっており「僕ならいくらいくらでこう実装できます!実績はこんなにあります!」というようなアッピールをいちいち考えなければならない。そして当然受注できなければその作業間の時給は発生しないため、タダ働きの時間となってしまう。よしんば仕事を取れたとしても、案件獲得までにかけた時間が多過ぎれば時給は当然下がる。ヘタをすれば高校生のバイトよりも低い時給で労働を行わなければならない状況も珍しいことではない。

となれば、なるべく効率的に案件獲得作業を行うために提案をテンプレート化するなんて誰もが思いつくことかと思う。しかし実際それもなかなか一筋縄ではいかない。なにしろクライアント側のリテラシーや相場観は驚くほどにバラバラで、同じ予算の中でも求められる仕事の範囲とクオリティに大きな違いがあるなんてのはままあることなのだ。

開発案件の相場

実際のところ、IT系案件の相場なんて「言い値」でしかない。案件を投げる側と受ける側のリテラシーや経験によって大きく上下することは言うまでもない。全てのクライアントと受注側が「何日かかるから時給いくらで計算して総額いくら」と正確に判断できるわけではないのだ。となれば彼らや僕らが頼りにするのは結局「前はこれくらいでできた」だとか「今はこれくらいしか出せない」だとか「今回は安くするから継続的に仕事が欲しい」だとか普遍性のない各々の思惑しかない。当然それが悪いというわけではないが、安定した金額感なんてものが存在しない理由はこれで十分に説明できるだろう。

常識は常識に非ず

クライアントの「常識」に振り回されることも多々ある。例えば簡単なページのコーディング一つとっても、画像素材の渡し方、独自コーディング規約の厳守、仕様書の提出、SEO対策としてのaltタグ埋め、ブレイクポイントの指示など、事前に説明のないものを「それ位は常識」という意識で付加される。流石にhtmlやcssのコーディングに仕様書を求められた時は「特筆すべきことはない」と断ったが、動的な要素も特にないページの仕様書とは、一体何を書けばよかったのか、そして何にいつその仕様書を使うつもりだったのか未だに疑問だ。しかし、恐らくクライアントにとっては「納品物」といえばその仕様書も付いてくるのが常識だったのだろう。

簡単に思える「画像素材の渡し方」でさえも個人で活動する上ではかなり大きな不安要素となる。pngで貰えると思っていたところ、超巨大なpsd(フォトショップデータ)が送られてきたことがある。僕としてはpsdの方が扱いやすいのでさほど問題はないのだが、フォトショップを持っていない場合は依頼主に画像化を頼むか自費で買うかしかない。嫌な顔をされながらも必死にどうにか画像化を頼めたとしても、モノに余計なレイヤーが含まれていたりサイズが合わなかったりと、結局何度もお互いの常識をすり合わせながらやりとりをする必要が出てくる。

「常識」のやっかいなところはほとんどの場合それを持つ組織や個人の経験によって無意識的に確立されている点である。そして対外的な明文化がなされていないという側面も付随する。僕らはどうにか互いに不可視の「常識」を明らかにし、整理整頓して気持ちよく合意する段階まで持っていかなければならない。契約してから、または納品してから「なんか思ってたのと違う」的最低な状況に陥らないためにも、なんとかして契約する前に仕事の前提や成果物足り得る条件をクリアにする必要がある。このあたりは要求/要件定義のプロセスにも通ずる。

僕がソフトウェア開発について学んでいること - ここはクソみたいなインターネッツですね

「仕事を始められる状況」に達することさえこんなにも困難なのだから、仕事を始めればより大きな困難が立ちはだかることは必然と言える。フリーランスの開発案件には「常識」という言葉に包まれた人的、社会的な不確実性がそこかしこに潜んでいるのだ。

そして僕は星になりたいと思った。

このような悩みをフリーランス全員が抱えているわけでは当然ないし、逆にサラリーマン全員が悩んでいないというわけでもない。

しかしやはり、サラリーマンであることの優位性は大きいと感じる。世間的によくない言い方に聞こえてしまうかもしれないが「居るだけでお金をもらえる」という安心感は確かにあり、何ものにも代えがたいものだ。僕の場合はその「居る」こと自体に困難や苦痛があったりするから難しい話になってしまうのだが、普通の人、つまり繰り返し同じ時間に起きて同じ場所に行くことができるまともな人であれば雇われ身分の方がずっと楽だと思う。そんなことを考えていたら、僕はやはりなるべく早く星になりたい、スターではなく星に。と思った。