ここはクソみたいなインターネッツですね

逆にクソじゃないインターネッツってどこ

ニートの規範とか社会がニートに期待することとかそれについてニートが思うこととか

規範、ということばはとても興味深い。僕自身多用しがちな言葉の一つ。

社会学を学んでいた頃、よく授業ではこの言葉が出ていた。割と抽象的な言葉なので最初の頃はよく混乱していた。人格、文化、社会、生活、それらのどこにでも付きまとうのがこの規範という言葉だ。僕はこの言葉を別にいい言葉だとは思わない。しかし人が二人以上居ればそこには社会というものが生まれ、大小何かしらの規範が存在せざるを得なくなる。どこまでその規範を内面化しているか、定着しているかは別として、やはり人が生きる上で規範というものは絶対的に存在し、ある程度の共有が為されているものだ。

規範というと、「〜すべき」という文脈に当てはめられるものが多いように思う。ニートとはこうあるべし、というように。

NEETの定義からいこう、NEETはNot in Education, Employment or Trainingの頭文字をとったものであったと思う。教育を受けておらず、雇われてもおらず、訓練も受けていない。さもありなん。僕の現状はたしかにその通りだ。この言葉を作った人は決して批判的な文脈で使用したのではなく社会における一定数の存在を呼称するためだけに使ったのだとかいう話を聞いたことがある。そして一部の学者はニートがある種の罵倒語のようになってしまったことに対し憤っているとも。

まあそれは置いておいて、世間のイメージではニートは働かず働く気もない若者で、ちゃらんぽらんな放蕩者という感じだろうか。働く気もなく放蕩しているもののみがニート足り得るというのであれば僕はまさに彼らのいうニートだろう。ニートはダメなやつで、本当は働くべきで、それでもいつまでも自愛からくる甘えを振り切れず自立できないやつ。何も間違っていないとニートの僕は思う。

しかし、ニートにも背景を持つ人がいる。一度は社会に出たりうまく社会と付き合っていこうという意志を持っていたが、何らかの事情で転げ落ちてしまった人たち。落伍者、といってしまうのは彼らに失礼なことかもしれないが、しかしやはり置いていかれた、という表現がふさわしいように思う。僕も自分ではこちら側のニートだと考えている。一回はうまくいきそうだったのにな、どっかでまちがえたんだろな。後悔なんかしてないけどなんかな、思うところあるよな。

大して揺れてもいない社会から振り落とされて、落ちた先では上手く自分でレールを敷けず、いつのまにか幾つかのセーフティネットもすり抜けてしまった。悲しいかな、未だに僕はそれを僕自身のせいだと言えるほど大人にはなれておらず、社会のせいだと言うほど子供にもなりきれない。僕にとって今の状況は自分が被害者であり加害者でもある状況、これはどこか自殺に似ている。つまり僕は一度自殺をしたのだ。そして生まれ変わってもいない。ゾンビのように日々を暮らし消費>生産のサイクルを必死に回している。

何もせず、かつなるべく社会に迷惑をかけない存在であれ。

考えてみればこれが僕にとってのニートの規範、いやもっと範囲を狭めて僕自身の人格規範なのかもしれない。何もしないことで既に社会に迷惑をかけている、という自己矛盾を孕んでいる点がとても生々しくて的確だと自画自賛している。自己批判と自己愛、エロスとタナトスのせめぎ合いのような、とてもとても人間らしい背反だ。

世間はニートを排除しようとする。生産しない人間など社会に必要がないから。 しかし社会はニートを守ろうとする側面も持っている。生産しない人間でも社会が擁する一人の人間だから。 なかなか難しい問題だよね。 そしてニートというか僕は排除してくれるならしてくれていいと思っている。金と迷惑のかからない死に方や誰も罪に問われない殺人のされ方なんかがあるなら是非教えてほしいしなんならその勢いのまま殺してくれとさえ思う。北朝鮮からのロケットを俺が受け止めることで誰かが助かるなら是非そこにベッドを置いておいてくれ、僕はなんの未練も感動もなくそこで寝るだろう。 「そうじゃなくて働けよ」というツッコミは尤もだ。誰だってそう思う、俺だってそう思う。でも嫌なんだもん。働きたくないんだもん。これが紛れもなく僕の本音だ。今は割と安定しているので死ぬほど働きたくないとまでは思わないが、働かないでいいなら働きたくはない。そしてなんとなしに今はそんな感じで生活出来てしまっている。誰かにきっと迷惑をかけながら。

僕は働きたくないよ、ごめんね社会。

はたらきたくない!!!! 別に楽して生きていきたいとか思ってない!!!! やりたいことを仕事にしたいとか思ってない!!!! なんも考えてないしなんも考えたくない!!!! かといってニートのままでいいともおもってない