ここはクソみたいなインターネッツですね

逆にクソじゃないインターネッツってどこ

新卒研修を行う上で僕が注意すること

入社半年なのに新卒研修を担当することになった

 昨年12月よりエンジニアとして仕事をしている。入社から間もないにも関わらず、BTC(Business/Technology/Creative)人材育成研修のテクノロジー部分の担当として抜擢していただいた。これは僕がCODED@という学生向けプログラミング講師団体を立ち上げプログラミング講座を実施しているボランティア活動が評価されてのことだった。

 プログラミング講座の方はCODED@のメンバーに了承を取り、普段実施している講座を流用することができるようになった。これはこのまま遂行できるとして、新入社員の方々とお話しできるせっかくの機会なので何か技術以外のことも伝えたい。

何を伝えるかの前に

 何を伝えるか、という大きなテーマにいく前に、重要な点がある。コミュニケーションの第一歩は相手のことを知るということに始まる。つまり、一人一人の人生観、労働観、成長欲求、なりたい姿やその有無などを時間をかけてヒアリングをしなければならない。しかし今回はメンタリングではなくティーチングが求められているので、そのような時間的余裕は与えられていない。では翻って、僕が新卒だった時のことを思い出すことで彼らに近づいてみよう。

 そもそも僕は新卒において、100%の確信を持って希望した会社に入ったという訳ではない。何をしたいのか、何ができるのか、何をすべきで何をしないべきなのか考えながら就職活動をしていたら、疲れてしまったのだ。なので真っ先に内定を出して下さったところに即決で入ることにした。もしかすると彼らもそうなのかもしれない。であるとすれば、次に僕が感じたのは「本当にここでよかったんだろうか」という漠然とした不安、「社会ってこんなものなのか」という今思えば傲慢ともいえる失望であった。空回りして自身の能力を過信してしまう時期は多くの人が経験してきたあるある的な話なのだと思う。

 全ての新卒が僕のように生意気であるとは限らない。しかし、彼らが漠然とした不安、言い換えるならば社会及び自身に対する期待のようなものを抱えており、それは非常な緊張と興奮による増幅に至っている可能性を頭に入れておかなければならない。一年目、というのは労働人生において大きな意味を持つとよく言われる。大筋には同意するが、僕の私見を加えるなら「一年目は思春期以来の多感な時期」であるからこそ意味を持つのではないだろうか。

 人間は結論を出したがる生き物である。そして、この多感な時期には小さな出来事に大きな印象を抱きやすいきらいがある。つまり、彼らにとっての会社像、社会人像、さらに言えば大人像は研修担当によってある程度の指向づけが行われてしまいやすいのだ。このことを意識して、丁寧な論理で彼らに寄り添わなければならない。

汎用的なマインドセットフレームワーク

 まず、HRTの原則(謙虚/尊敬/信頼の原則)の重要性は強く認識づけしておきたい。この原則についての解説、また僕がHRTに基づいた接し方を心掛けることによって知識/経験の両面からアプローチをかけ短期間でもその重要さ、あるいはHRTが染みついている人間との仕事のしやすさを理解体感してもらいたい。

 また、それでも生まれくる過信や、感情/思考/事実がごちゃ混ぜになった愚痴などに対する建設的な解決方法も提案しておきたい。できること、できないことを明確にすることによる不安と期待のコントロール方法と名付け、私自身の経験に基づく事例からその失敗例、成功例を語ることとする。

 最後に、悩むことと考えることの違いについても話したい。これは僕が高校生くらいの時からずっと言い続けている言葉なのだが、

悩むとは問題の輪郭をぼやけさせ、答えを遠ざける行為である。 考えるとは問題の輪郭を明確にし、答えに近づく行為である。

 ここまでスライドや資料を作った上で、ある本を先日から読み始めた。

昔一度読んだりしたのかというほどに、上記論理に酷似した経験的教えが載っていた。有効かつ広範にわたる様々な手法やマインドセットを盛り込んでおり、端的に言って名著である。もはやこの本を読ませればいいのではないかという気さえしてきた。しかし本では補えない部分、つまり僕の経験を交え真摯にこれらのことを伝えることで少しでも僕の熱量、心からのメッセージを彼らに残せるようにする努力は怠るわけにはいかない。

メリハリをつける

 僕が最初に入った会社では、ウォーキング研修という前時代的悪意のある新卒研修があった。スタート地点からゴールまで、おおよそ40kmの行程をルート選定から秒単位のスケジュール立てなどを行い実際計画通り歩くという研修だ。ルート、速度、スケジュールを根拠と仮説の形式で先輩社員に提出し、先輩社員は儀式的にその不完全性を詰問する。これが二週間以上毎日毎日繰り返されてようやく当日歩くわけであるが、さらにそこに役員や中堅社員も同行することで更なるプレッシャーが掛けられる。

 僕はこの研修について、非常に批判的であった。研修後はこのような圧をかけられることはなかったし、さらに言えば詰問してきた先輩たち自身もこの研修で学んだことを習慣化している様子はなかった。

 しかし、僕は一つだけこの研修について評価しているところがある。それは「怒られる」ということを体験させている点である。それがあまりに理不尽で執拗であった故に僕は当時から人事や先輩社員を批判していた(そう考えれば先輩も完璧ではないという副次的な学びもあった)が、ある程度の緊張感を持たせることは非常に有効であると思う。

 よって、研修の一部分、要件定義の部分では彼らにグループワークをさせて、あくまで論理的に過不足を指摘し過信をたしなめるイベントを組み込む。過度の圧迫にはならないように、しかし学生生活の中で育まれた馴れ合いの文化が通用しないことに気付かせる程度には刺激を与えたい。

さいごに

 数々の困難が彼らに待ち受けているであろうこと、その辛さを隠さないで欲しいこと、休むことは罪ではないこと、あなたは完璧ではないし、また我々も完璧超人ではないこと、競争相手ではなく、同じ方向を見ているだけの個人であることをしっかりと彼らに伝えたい。