ここはクソみたいなインターネッツですね

逆にクソじゃないインターネッツってどこ

筋肉かお金があれば人は皆優しくなれる説

 エンジニア界では最早常識となっているが、人間には筋肉かお金が必要である。

筋肉があると生まれるもの

 筋肉は肉体だけでなく精神をも補強する。何か叱責や理不尽を被っても「まあいいかいつでもこいつなんて殺せるし」という鈴木拓的余裕が生まれるのだ。そしてその自信は権力や地位など無形の力に対しても同様の防衛力を有する。ストレスの内的発散である所謂妄想というものは、自身を納得させた方が効果に期待できる。つまり、自己防衛としての妄想は可能な限り現実的である方がよい。であるから、筋肉があれば「あいつなんていつでも殺せる」という妄想に自身に対する説得力を持たせることが出来るのだ。

 では筋肉がない場合はどうか。その場合の妄想内容は「まあいいやナイフ持っててこいつが油断してたら簡単に殺せるし」となる。こんな妄想では必須条件が多すぎる故に「いやまあ無理なんだけど」と自身の理性に負けてしまう。

 余裕が生まれると人はどうなるか。優しくなれる。少なくとも心理的な余裕から無駄に攻撃的ではなくなる(男性ホルモンの影響の問題は多少あるが)。そして、先述した通り自分自身に対しても強くなれる。優しく強い奴なんてすげーモテそうでとてもいいじゃないか。みんなこうなろう。

お金があると生まれるもの

 結論から言えば、こちらも「余裕」が生まれる。嫌な上司にグチグチと文句を言われようが、顧客からクレームが飛んでこようが恋人に八つ当たりをされようが、そんなのどうでもよく思えるのだ。上に挙げた大抵の場合は三億の札束で殴れば少なからず解決への方向に進む。それに、最悪の場合お金があるのならば一人で生きていけるのだから全ての障害から距離をとってしまえばいい。

 お金があるということは選択の自由があるということだ。「選択の自由」というと、なにか万人が持っているべきもののような聞こえがある。しかし根源的にそれは間違っている。なぜなら基本的に我々は、母親の胎内から産まれ出た瞬間から「生きる」ことだけはほぼ強制されているという前提が忘れられている。我々は選んでいるのではなく、選ばされていることの方が何倍も多いと言える。生きるためにはものを食べ、水を飲み、労働、生産、消費をしなければならない。ここで前段の話に戻れば、しかし金銭さえあればこれらの問題は解決できてしまうのだ。金銭を持つことで我々は人類である以上必ず持たされる不自由な自由の一歩先、真の自由の数歩前段階の自由までは獲得できるのである。

 ちなみに私はお金も筋肉も全く持っていない。よって非常に不自由な生活をしている。それでも優しさだけは忘れないように頑張って生きている。そしたら今日は眼鏡を忘れたので全くしごとができなくなってしまった。