ここはクソみたいなインターネッツですね

逆にクソじゃないインターネッツってどこ

鬱で退職したSEの戯言

自分語り

昨年の8月頃から、眠れない夜が多くなっていた。その少し前の5月に(ごく僅かではあるが)昇進したこともあって、割と大きい仕事を一つ任されたのが遠からぬ原因の一つであると思う。 8〜9月の段階では、眠れないといっても僕はそれほど重大な問題として捉えていなかった。初めて任される(自分の中では)大きな仕事のプレッシャーを感じるのは当たり前のことであるし、ようやくチームを率いる位置につけるということで少なからず期待で胸がざわついているのも当然のことと自覚していたからだ。

そして昨年9〜10月頃から本格的にプロジェクトが始動し、実際にチームが手を動かす段階に到達した。初めてチームを率いるということで、僕は知識も度胸も不足し、周りから見れば頼りなく映っただろう。プロジェクトの体制づくりもチームの体制づくりも、何より自身の意識が不十分だったと思う。プロジェクト開始から一ヶ月もすると、僕は僕の不甲斐なさからチームに多数の失敗と、幾らかの致命的な確執を生んでしまった。僕はどこまでも甘く、実力不足で愚かだった。

しかしそれでも、大きなプロジェクトを率いているという状況があり、上司と経営陣は僕をさらに昇進させてくれた。今思えば、10月頃に行われた昇進面談の際に「これからもっと頑張ります」と上に宣言したことで、僕は自分にトドメを刺したのかも知れない。

11月に入りしばらくして、僕は完全に鬱病になった。一週間の睡眠時間は10時間を切り、休日や就寝前の仕事をしていない時でさえ仕事に対する不安感に苛まれた。このプロジェクトは本当に最終的に成功するのだろうか、いやそれどころか、役員に毎週のように通告される期日までに、コレは完成さえしないのではないか、今からでも他の頼り甲斐のある人をリーダーに置くべきではないのか。僕は睡眠不足の頭で、四六時中そんなことを考えていた。

プライベートでは、半同棲していた彼女と話すことも減った。それまでは会社の愚痴やらこれからどうしていきたいかなど、飲み屋でグダグダ話すようなことを彼女の迷惑も顧みず一方的に話していた(それもどうかとは思う)が、ついにそれすらも出来なくなっていった。眠れない夜、体をムズムズ動かしたり、何をするでもなくスマホの画面を眺めていたり、突然奇声をあげる、手が震えだす。深夜から早朝にかけて毎日毎日絶え間なくそんなことをやってしまうから、悪いと思いつつ彼女を起こしてしまうこともあった。僕は、彼女の睡眠時間さえ奪うようになってしまっていたのだ。それでも彼女はイヤな顔一つせず、僕に「大丈夫だから無理なら辞めちゃってもいいよ」と優しく声をかけ、返事を待たずにまた眠ってくれた。今思えば聖人かコイツは。彼女が居なければ僕は、10月の時点で自分か他人かを殺していたかもしれない。

そんなことが続いたある日、僕はなんとなく定時で帰ることにした。何か確かなきっかけがあったとは思えない。僕の心の中の、なんらかの堰が悲鳴をあげていたのだと思う。僕は、そのまま夜間診療を行なっている最寄りの心療内科に足を向けた。眠れない、猛烈な不安がある、手が震える。そう医者に告げたら、「死にたいと思うことはありますか」と聞かれたのをよく覚えている。その時僕は、なんと答えたのだろう。覚えてはいないが、「患者さんとは必ず約束をするのですが、命を投げ出すようなことは絶対にしないで下さいね」と目を見て言われた記憶はある。結局、出されたのは抗鬱剤抗不安薬睡眠薬のフルセットであり、僕は鬱病だと診断された。僕は晴れて、自分を鬱病患者だと認めざるを得なくなったのである。

12月に入り、プロジェクトは最終局面を迎える。納品まであと二週間というところで、僕は上司に「仕事がつらい。納品したら、休職をさせてくれ」と頼んだ。昇進を推薦してくれた上司や経営陣に対し、なんと無責任なことだろうか。プロジェクトの性質上、これは納品すれば終わりというものではない。今後機能を改善し、拡販計画をすすめていくことを含めて、これは一つのプロジェクトと呼ばれていたのだから。

しかし僕は、無責任だろうがなんだろうが、自分の生死が関わっているという言い訳を振りかざして何が何でも休むつもりだった。手が震え、禄にキーボードさえ打てない。会議で人の目を見ることが出来ず、しどろもどろでしか喋れない。人をどんどん嫌いになっていき、何より自分が憎くて憎くて仕方がなくなってくる。上を殺したい、下に死んで欲しい、自分が死にたい。もうここでは生きられない。もうこんな地獄では生きられない。もうここを地獄にしたくない。その一心だった。

こうして僕は納品後にすぐさま休職をした。一月二月と経っても、症状はよくならなかった。嫌いになるべきでないと頭では理解している仕事や人も、やはりどこか嫌いなままで、あそこに戻る自分が想像出来なかった。今更戻れなかった。そうして休職期間が満了し、僕は退職することとなった。

僕が本当に鬱だったのか、ただ単に責任の大きさと環境が変わったことで少し気分が乱れただけなのか、それともただの甘えだったのかは今でもよくわからない。甘えと言われれば、甘えだったような気はする。しかしもしあの時自分に甘えなければ、僕はこれ見よがしに会社で首を吊るくらいのことはやっていたと思う。そう考えれば僕はそもそも、採用されるべきでない人間だったのかもしれない。労働に向いていない人間だったのかもしれない。まあ今となってはそんなことを言ってもどうしようもないが、僕は他人から見ても自分から見ても本当にダメなやつだったんだと思う。会社のことはそれなりに愛していたし、会社のダメなところは率先して自分が変革していきたいと、そんな青臭いことを思っていた。けれどもそれも、結局のところただのダメなやつの空回りで、誰かに何かをしてあげることなんて、ほとんど出来ていなかったんだろうなあ。きっと生暖かい目で相手をしてくれていた人達は、本当に嫌いになってはいけない人達だったんだとおもう。

今でも僕は、たまに会社に潰されたとか上司に潰されたとかそんな風な、嘘で欺瞞で利己的でとんでもない思い込みをしてしまいそうになることがあるけれど、そういう自分を今も変えられていないことが、この顛末のすべての根っこなのだろうと、今も尚考えている。

プライベートと両立出来る仕事です!とかいうやつ

プライベートへの侵食を両立と表現するな

最近転職サイトをよく見ている。割と無理な条件を吹っかけているにもかかわらず、いくらかの企業がオファーをくれている。

「プライベートと両立出来る仕事です」

会社紹介の欄によく書かれている文言だ。そういう会社に限って、社内交流チケットを配布しているだの土日にフットサルがあるだの家族ぐるみの付き合いが多いだのという、僕からすれば死ぬほど恐ろしい制度や環境を推している。

特に会社の行事を推してくる企業に関して、脊髄反射的に鳥肌が立つほどの拒絶反応が出てしまう。 うさんくせえというか、宗教くせえというか、少なくともそういうところに積極的に参加して最高に楽しんでいるようなやつとは友達になりたくない。僕が最近はやりの陰キャということもあるのだろうが、しかしどうしても僕にはそれらのことは会社の行事であってプライベートのことではないように思えるし、何より両立と侵食を同じような意味で使っているあたりになにか悪意を感じる。

僕が思うプライベートと両立できる仕事というのは、残業が少なく朝出社が早く夜退勤が早い仕事である。現在は10〜19時(基本22時以降)の会社に勤めているが、本当にプライベートとの両立が難しいと感じている。

何か勉強しようとか映画を観ようとか、そういったことをしたいのに、飯食って風呂入って洗濯したらもう1時だ。結構多くの人がこんな感じなんだと思う。

そんな多くの人が、例に挙げたような土日にフットサルがあるというような話を見たらどう思うだろう。強制であるにせよないにせよ、第一印象としては嫌悪感を抱く人の方が多いのではないだろうか。そんなことをアピールするのならば、

土日は完全に休みにするので家族との時間を大切にしてください

と書いてある方がよっぽど印象が良い。会社の人と本当にプライベートな関係を築けている人なんて、よっぽどの根明かよっぽど学生時代の友人を持っていないかのどちらかだろうと根暗な僕は考えてしまう。

バイト募集のフリーペーパーを見ていた頃から思っていたけれども、なんで求人ってあんなにうさんくさいんだろう。年収例で三年目歩合給2000万って出してる求人とかさ、普通に考えりゃまともな奴が入ってくる訳ないだろ?あり得ねえことをさも平均かのように書いたり大して力の入れてねえ福利厚生だとか教育制度だとかを大げさにアピールしたり、なんでそんなにお互いが不幸になるようなことをするんだろうか。逆に、すごく大変だけどやりがいがある仕事だ、という紹介文も頭にくる。業務量過多をやりがいとかいうフワッとした言葉で隠すなよ。

ありのままの現実をありのまま書いて、納得してもらった上で人が入ってきた方がいいに決まってるのに、他のところよりよく見せようよく見せようとバカみたいな競争してさ、結局入社してからのギャップでやめていくんだろう。

1年後、3年後、5年後どうなっていたいですか?という質問

いや逆に聞きますけど5年前のあなたは僕にその質問をしていたかったんですか?って感じ

子供の頃からなんとなしに、大人は未来の話をするのが大好きだなあと思っていた。

大人になった今でも常々それは感じている。評価面談の場における掲題のような質問といい、なんで大人って"自分がどうなりたいか、どうありたいかを考えて逆算で行動しよう"みたいな話が好きなんだろう。

毎日毎日当たり前のように残業をして、みなし残業だから給与も大して増えずに疲労だけ溜まっていくような生活。 少なくとも3秒前までの俺はなんでこんなことしているんだろう、ということを考えていたよ。けれども数秒経った今では、この文章の落とし所を考えている。今のところの人生ってこんな状況の連続で、うわーどうしようかなって思っている間に大抵のことはもう選択するタイミングを逃して良くも悪くもどうにかなっちゃってきた。

例えば今月のノルマを達成できたとして、何が変わるんだろう。 もらえるお金が少し増えて、自分の評価が上がるだろう。けれどもそれで、来月もノルマを追っていくという状況に対して、何をもたらせるんだろう。多少評価が上がって多少賃金が上がって多少次の転職が有利になって、結局やることはサラリーマンなんだろうか。

やればやるほど後が楽になっていくというのなら、やらなければやらないほど後が辛くなっていくというのなら、総量はそんなに変わんねえんじゃねえかな。

基本的に今日で仕事をやめよう、と毎日思っている。明日もきっとそう思うんだろうけれども、明後日はわからない。来年なんてもっとわからない。そのときやりたいことをやっていたいぜ。

なんとなく大学生くらいから思っていたことがある。人間には二種類いるんじゃないかということ。 週末のビール一杯を糧に毎日頑張ろうと思える人と、なんでこんなことやってんだと思いながらもなんとなくそれはそれでそれなりの生活と幸福を見出しちゃったりする人。

今の社会では前者が普通だし、生物として愛されるべき人間だと思う。ただ後者は後者でありがちな話である。僕は基本的には後者寄りであると思っているし、ビールもあまり好きではないから、毎日なんとなくこうして生きていったらそれなりに目標みたいなのが出てきてそれなりな毎日も悪くねえなとか思い始めちゃうんだろうな、とも思っていた。

しかしそれは今の所達成されていないと言える。目標もないし、毎日"今日こそが人生最悪の日"だと思い続けている。

後者のタイプの人間の内、それでもこぼれ落ちてしまう一握りの人種がいるのかもしれない。いわゆるクズ人間。多分僕はそれになるんだろう。過去の自分のせいにするようで非常に申し訳ないことではあるが、きっと僕自身が子供の頃に夢を持てなかったのが大きな原因になると思う。

今はタバコが吸いたい。1秒後には、きっと僕がやりたいことはトイレに行くことになっている。3秒前はそんなことこれっぽっちも思っていなかったのに。こんな風に、やりたいことなんてすぐ移り変わっていってしまう。5年後どうなっていたいかなんてさ、意味ないよ。

どうにも僕には、その"逆算"の発想から本当のことばが出てくるようには思えない。むしろそのことばに寄り添うようなことを本当ということにして、これからもきっと惰性で続いていく"それなり"を、"理想に近づいているんだ"ということにして正当化しようとしているだけなんじゃないだろうか。

"本当になりたいんだったら、そうなるべく努力しろ"みたいな話なんてクソほど聞いてきたし、本当にその通りだと思うよ。 しかしさ、5年後どうなっていたいですか?とか改めて問われて何かを考える機会にしているような奴がだよ。その場でちょっとだけ真面目に考えたことを、"これは俺の本当のことばだ"と思い込むことって正しいことなのかな。そんな風に思わせちゃうのって、いいことなのかな。

働いてるやつは言うよ、働きたくないと。働いてないやつは言うよ、働きたいと。なんだかんだ、人間はないものねだりでグルグル回るだけなんだろうなって僕はそれなりの時間生きてきて感じたよ。5年後大金持ちのニートになりたいと僕が考えたとして、もしそれを2年で達成してしまったら、また違う形の目標を置いてぐるぐる意味もわからず回っているだけだよ。

1年後、3年後、5年後のことはわからない。そのときに思う幸せの形を、そのとき取れる手段で実現していれば良い。今思う幸せの形が、3年後の僕の幸せだとは限らない。足枷になったり、今の自分が感じたい達成感を未来の自分に押し付けているだけになってしまう気がする。

僕は何もしたくない。1年後、3年後、5年後のことはわからない。けれど少なくとも今は、僕は何もしたくない。僕なりの本当のことばはこれに尽きる。

5年後どうなっていたいかとか、そういう意味のない質問を軽々しく投げることはやめたほうがいい。 みんなそんな生き急ぐなよ、と僕は思う。そりゃあ一瞬は答えを出した気になるかもしれないけれども、おおよそ大した答えになんてなっていないし、なりたいものややりたいことを嘘にまみれさせてくだらなくさせていくだけな気がするから。

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第2弾「5年後の自分へ」
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/hatenablog-5th-anniversary

新宿三丁目で可愛い彼女に帽子を被せて頭を撫でたイケメンはすぐさま悔い改めよ

掲題の件につきまして、2点のご報告と1点のご相談がございます。 早速失礼して報告の1点目ですが、クソエンジニアがクソ疲れ果てたクソ帰宅途中のクソ心がなぜかときめいたことをお知らせいたします。 2点目のご報告ですが掲題のタイミングで腐れオンドリャの彼女が見せたあのクソ可愛い小鳥のような表情、いわゆるペンギン口で照れながら振り向くあの仕草にこちらといたしましては惚れ申したことをお知らせいたします。こちら今夜中に対応いただかないと私の進退及び生死に関わる緊急の案件となりますのでお忙しい中大変失礼ですが至急対応をよろしくお願い致します。 さてご相談させていただきたい1点につきましては同じく掲題の件になります。あの腐れオンドリャはおそらくそれなりに幸せな家庭に生まれてきたこと、これからもある程度幸せに生きていくこと、いつかはあの子を振って違うそれなりに可愛い子と付き合って突き合ってダンシンオールナイなことと存じますがご相談といたしましてはその後でもこちら構いませんのでその捨てた方の子でウォンビーロンオーナイロング

中二病の僕が年収を公開する

20代中盤、社内SEの僕の年収

僕はIT企業で社内エンジニアをしている。 現在4年目で、新卒から数えて2~3段高い位置の役職に就いている。

大きな会社でもないので、この位置は一つのサービスをある程度任されている位置となる。 8年目以降の社員も同じ位置にいたりすることを考えると、昇進は割と早い方だとは思う。 しかし昇進は運と上司の人間性に左右されるものであるから、これを持って死ぬほど頑張ってきたと言い張れるわけでもない。

そんな僕の年収は450万。 ボーナスは夏冬2回で1月分もらえるかもらえないかというところ。

月の額面は32万と少しとなる。手取りでいうと26~27万位。 同世代の年収を詳しく知らないのでなんとも言いがたいけれども、20代の平均でいうと300~400万位というデータをよく見るので、少ない方ではないように思う。とはいえ中央値最頻値あたりをしっかり見てみたらまた違う結論にもなりそうである。

450万。非常にリアルな金額だ。貯金はゼロである。 テレビ番組か何かで、結婚相手の年収は600万あればいい、と言っている女性を見た。 それが一般的な感覚かどうかは僕にはわからないけれども、少なくともその彼女にとって、僕は結婚相手には相応しくない人間だということだ。 しばらく大きな昇給をする予定はないから、僕は後数年はTVの彼女と結婚できないこととなる。

割と順調に、いわゆる普通のサラリーマン人生を歩んでいる気がするのだけれども、普通の生活をしている人にとって結婚ってこんなにハードルの高いものなんだな、と思う。

人生どこかに収入のターニングポイントを作らないと、これ30過ぎまで状況変わらないんじゃないかなあ。

冷静に年収を見直すと、ちょっと人生不安になるよね。

中学2年生の頃から思っていること

そんな普通のサラリーマンである僕が、中学2年生の頃から考えていることがある。

好きな人がいたとして、その人と結婚してずっと一緒にいたいと思っているとする。 その人と一緒にいるためにはきっとお金が必要で、お金を稼ぐためには働かないといけない。

働くかたちっていうのはある程度決まっていて、普通は月ごとに給与をもらうサラリーマンというかたちになる。 サラリーマンは1週間のうち5日を労働に費やして、後の2日でプライベートを楽しむという。

そのサラリーマンになったとして、最初にあったはずの"好きな人と一緒にいる"って目的は達成されなくない? なんか本末転倒になっている気がする。

中学生くらいから考えていたことだからこそとても青臭くて、ある種くだらないロマンチシズムに溢れた話ではあるんだけれども、今の所この考えにうまく反論することができていない自分がいる。

今まさに僕は、そんな状況になっている。

結婚とかではないんだけれども、僕の人生の目標は”何もしない”ということで、何もしないのにはお金が必要で、お金が必要だから何かしないといけないというような感じで。

何かよくわかんねえよなあ最近。

カイジみたいに人生一発逆転おぎゃァァァピィィィイというようなイベントも宝くじくらいしかないし、うまく行くとも思えない。 かといってこのままダラダラサラリーもらっててもね、何も打破されない気がする。

どうすれバインダー

働きすぎ問題について

働く時間を考える

ついこの間から電通の過労死問題が大きなニュースとなっている。このようなことが起こると、しばしば"日本人は働きすぎ"という話と、日本の祝祭日は世界でも多い方であり"勤勉な日本人はイメージであり最早実体はない"とする話が溢れかえる。

本当のところ、それってどうなんだろうか。僕なりに計算をしてみた。

vorkersという会社が、日本人の残業時間についての記事を挙げている。

これにによれば、日本人の平均残業時間は月47時間だという。これを単純計算で12倍して1年にすると564時間。

この時点で既にかなり多いような気がするが、イマイチ実感が湧かないのでもっと現実味のある数値に落とす。

564時間をそのまま24で割って日数にすると、23日とすこしになる。

さらにその23日を法定労働時間の8hで割ると約70日。残業時間だけを見ても、日本人は70日を労働に費やしていることになる。

一般的な会社の年間休日は80〜125日くらいかと思う。間をとって仮に100日とすると、その内の70日分は残業時間で相殺される。ともすれば、日本人は一年に30日しか休まない計算になる。 つまり、数値上平均的な日本人は、1年の内11ヶ月は働いているということになる。

最低8時間を労働に捧げる日を"働く日"とていぎするならば、365日の内、335日を"働く日"にしているのが日本人と言える。

では、現実味のある、実際の1日の労働時間を見てみよう。

法定労働時間8時間+(47時間÷20日)=10.35時間

となる。

とはいえ、これは労働時間にすぎない。通常の勤務における労働以外の拘束時間を考えると、通勤+帰路、朝早めに出ることを加味した場合の合計2時間、法定通り行くとお昼休みがあるはずなので、そこに1時間が足される。

以上のことから、おおよそ13.35時間の拘束を1日あたり受けていると言えるであろう。

1日の他の内訳を考えると、睡眠時間が8時間として21.35時間、風呂食事家事の時間を1.5時間とすると22.85時間。残りは1時間ほどとなる。人によっては8時間は寝過ぎだというだろうから、6時間にしても3時程しか余らない。 会社から帰ってきて、だらだらしながら映画を1本でも見たら1日が終わる。これがごく平均的な労働者にとっての平日と言える。

僕は他国のことは知らないが、知るまでもないんじゃないだろうかと思う。すくなくとも僕には、日本人は異常に働いているように見える。

週の5/7を平日とすると、労働者にとって一週間における平日の自由時間とは多く見積もって15時間しかない。

業務のための勉強や、翌日の仕事の準備、次のプレゼンをどうしようと悩む時間などを仕事と数えないでこれなのだから、なんとまあ頭のおかしな状況だ。

睡眠8時間+風呂食事家事と移動の時間を除けば土日の自由時間は12時間×2日というところだろうか。

仕事とプライベート、という言葉があるけれども、僕らのプライベートは週に平日15時間+土日24時間の39時間程度しかない。仕事は上の計算でいうと13.35時間×5日の66時間ちょっととなるから、僕らは大体3分の2、仕事に今の人生を捧げていると言える。

あの人には仕事しかない、という悲惨なセリフがあるけれども、あながちドラマの中だけの話でもない。冗談でもなんでもなく、本当にそんな感じなのが平均的な日本人っぽい。

5,4,3,5

この数字がなにに見えるだろう。これは僕が今月した残業時間の今のところの推移だ。これを見る限り、僕は今月、平均より多く人生を仕事に捧げているようである。 こういうことを書くと、俺はもっと多いぜ、というふうに多くの人が残業自慢をするけれども、あの人達もあながちふざけていたり誇張しているわけではないのかもしれない。

日本人は働きすぎで、過労自殺するほど思い詰めていて、そして自分の人生を充分に顧りみれていないというのがリアルなところなのかもしれない。

なんちゃってフルスタックエンジニアの憂鬱

よくわからないで新卒入社した会社で気づいたら全部やることになってた

入社する直前ぼく「へぇ〜インターネット広告とかやってる会社なんだな〜。」

入社する直後ぼく「文系出身なのに気づいたらシステム配属になったなう。プログラミングとかわかんないんですけど。」

1年目ぼく「プログラムだいたいわかったなう。エンジニアって要件定義/仕様作成とテストが9割の仕事なんだなあ。」

2年目ぼく「エンジニアって、マネジメントと技術のどっちかに分かれていくもんなんだなあ。」

いまのぼく「なんか気づいたら全部やることになってるなう。」

……どうしてこうなった。

ぼく、プログラムなんて全然知らないで会社入ったのに、気づいたらなんちゃってフルスタックエンジニアみたいになっているんですけど。

  • 何作る?
  • なんでそれ作る?
  • サーバー構成どうする?
  • サーバースペックどのくらいあれば足りる?
  • サーバー借り先どこにする?
  • ミドルウェア何にする?
  • 監視項目どうする?
  • というか言語は?
  • FW何使う?
  • いつまでに開発すればいい?
  • 何人でやる?誰でやる?
  • サービス開始までに○○円かかるけど予算どうなってる?
  • この感じだと間に合わないけどどの機能捨てる?
  • 各機能の仕様作成/設計はぼくですか?
  • 開発準備しようね
  • アジャイルってやつでやってみよう
  • 人いないし開発も当然参加するよ!
  • コードの品質管理フローつくりました
  • 緊急対応フローもつくりました

2年目くらいまではエンジニアってこういうもんか、と思っていたんだけれど、なんかおかしいんじゃないかと最近思い始めた。

要件定義~スケジューリング~開発~開発振り返りくらいまではまだ理解できるよ、人も少ないし自社開発だもんしょうがないよ。 でもさすがにインフラ周りとかビジネスの根幹部分の見直しとかまでぼくがやっているのは構造的におかしい。 仕事を自分で抱え込みたいタイプでもないので、本当はある程度人に任せたいんだけれども、後輩もいないし他に仕事を振れる人もいないから自分でやることになっている。 せっかく人が成長できる機会なんだから本当はどんどん振り分けて皆超すごいエンジニアになってほしい。

エンジニアってこんなに仕事するんですか、これって一体どういうことなんですかね、ぼく結構困惑しちゃう。 人事にもっと使える人をくださいと懇願しているのになかなか採れないらしい。 そりゃそうだよこの給与じゃ優秀なエンジニアなんかこないよ……。

毎日のように携帯にくるアラートやエラーメッセージにビクビクしながら深夜も土日もmuninでサーバー監視して、4~5年も前の他人のコードバグ取りリファクタリングして、後輩や他の人がノビノビ開発できるような環境を整えてみたりして。

あるぇー??これっておかしくねぇ???

全社の1/3くらいの売り上げを出しているサービスのシステム責任者みたいになっているのに、ほとんど新卒と給与変わんないの。辞めちゃおうかな、とも思うけど昇進チラつかされてるから昇進してから転職しよう、と時期を逃してしまう。

当然これには自分にも原因があることだとは理解していて。 未だに技術を磨くかマネジメントを頑張るか決めきれていないのが特に大きな問題なんだろうと思う。 何かしらの形で会社に貢献したいとか、お金儲けができるサービスを作りたいとか、個人でやっていけるようなスキルをつけたいとかそういった抽象的な意識しか持たずに仕事をしてきた弊害だと言える。

元々文系(社会学とかやってた)出身なのもあって、ちゃんとずっと技術を勉強してきた人にはなかなか技術そのものでは勝てなそうな気がしている。どちらかというと品質管理や新技術の取り入れなど、エンジニアが元気に働ける環境を作ること自体の方が好きだ、というところまでではあるが、最近になってようやくそんな結論めいた考えを持てるようになってきた。でもそれって世間一般でいうマネジメントとはちょっとずれている気もするし、どういった職種につけるのかもよくわからない。

当然こんなペーペーにプロダクトマネージャみたいなこともプロジェクトマネージャみたいなこともさせてくれる会社なんてなかなかないとは思うし、その点に関してはとても感謝している。 しかしこれ本当に給与と見合ってんのかな?という疑問を拭いきれず会社を心から信用することができないのもまた事実である。

じゃあどんな仕事をして、いくらくらいもらっていたら満足なのか

不満ばっかり言っているなら転職すりゃいいじゃん、ということで転職サイトを漁っている。 業務で基本的に使っていたのはphpだからそれで探してはいるんだけれど、完全なPGの募集ばかり目に入る。インフラ選定から開発までをやっている、というぼくの現状はプログラマさんたち程コードをかけていないし、専業SIerさんたちよりは設計/仕様作成経験も少ない。どこかに特化してないためなんとなく「自分のレベルはすごく低いのではないか」という不安があってなかなか踏み出せない。 負のループだなあ、これ。

給与に関しても日本のエンジニアの平均給与に関する記事とかを見てしまうとあんまり大それた希望額は出せないし、現職よりちょっと多いくらいがちょうどいいのかなあ。

本音をいうとボーナスが2ヶ月分以上ある会社で、500~600万くらいの額面がほしいのだが、友人らと話しているとそれって結構高望みらしい。どうしたらいいんだろう。というかそこらへんで頭打ちってなると、日本でエンジニアは結構厳しい職業という話になってきてしまうのではないだろうか。

給与/業務範囲/責任範囲がうまくバランス取れてる会社ってなかなかないよねぇ。