大人になっていく友人達へ
友人達よ、僕は既に道行く可愛い女の子や素敵な女性を見かけども昔ほど熱量のある何かしらの感情を抱かなくなった。それは己が精神が無明の闇を破しかけている嘉すべき変化なのか、若き情火が消えかけている忌むべき凋落なのかよくわからぬままなのもまた僕に打ち棄てられるような諦念を抱かせる。また近頃ではそもそもその或る女性が小学生なのか中学生なのか高校生なのかはたまた大学生なのかさえ更に頼りなくなったこの双眸を出来るだけ大きく瞠き漸く的外れな推考に至るようだ。
ふと気がつけば僕は所謂アラサーと呼ばれる世代に至り、恐らくは敬愛なる聡明な我が友人らもまたその事実に気付き始めた頃合いかと思うが例えば僕は先程大手町の乗り換えにおいてたった数段ばかりの階段を登りきる頃には息も絶え絶えまるで蟇のやうに胸や腹をふくらませてはへこませてふくらませてはへこませて、あまりにそれが続くためこのままでは産婆でも呼ばれようかと気が気ではない思いをした。若かろうが老いてようが全盛期であろうが安定期であろうが衰退期であろうが悉く平等に過ぎる時の流れを憎し憎しと呪うことに日々を費やせば、それまた幾らか歳をとる。是非もなし。漸う世俗に疎くなることに無惨を覚えるその老いた性質こそが若かりし日への憧憬を招く悲しさに他ならぬ。最早我々が時間に賜る報いは昔語りに小さき花を咲かすことのみか、子供のすくすくと聡く賢しくなる様を草葉の陰から見守りくすくすと笑みをこぼすことのみか。悲しきは僕に子供をつくる鉄の意志のないことよ。
ニートが働き始めて、一週間が経ちました
ハーフハーテッド・アテンプト
内定を貰ったその日から、入社までの時間を大切に大切に使おうと思っていたのに、結局ダラダラとなにもしないまま入社日を迎えてしまった。「日はまた昇る」というヘミングウェイの本があるけれど、この僕の怠惰はどちらかといえば「夜をただ消費した」と言う方が相応しい。
昨日で丁度、ニートだった僕が働き始めてから一週間が経った。社内エンジニアとして、細々としたバグや要望を改善しながら少しずつサービスの全体像を把握しようとしている段階だ。プログラムの書き方や設計思想のギャップに驚いたりもしたけれど、今のところはそれほど困ることもなく仕事に励めている。
今日読んでいたプログラムの中に、attemptと名付けられた処理があった。tryではなく、attempt。僕はその命名にどこか共感を覚え、特に調べる意味もない箇所なのにじっくりと読み込んでしまった。attempt。失敗することを前提にしているかのような自信のなさ、散らばったスパゲッティのようなコードを無理矢理ひとまとめにしたその醜態こそが、今の僕にとてもよく似ているように思えた。
うまくいくかの自信はなくて、うまくいかせる根拠もなくて、それでもなんとなく動いてしまっている。プログラミングにおいてこれはとっても悪いことで、すぐにでも直すべきことなんだけれども、何か僕はその処理に人間くささを感じてしまって。なんとなくでニートが就職をするように、なんとなくで労働者が辞職をするように、明確な根拠や証明、保証なんてものがない状態でも人は日々を過ごし生活し暮らしていく。当然、コードにはそんなことは書いていないんだけれど、どこか今の僕の実体そのものが書いてあるような気がした。プログラムを見てこんな感情を持ったのは初めての経験だ。
夜をただ消費してしまった僕も、日を自分の意思でまた昇らせた人も、結局のところ同じ時間を経験していて、行動の美しさや理念の正しさは関係なしに、結果として同じ太陽が同じように同じ大きさで昇るのを見ることになる。本当にプログラムみたい。 僕もこのコードのように、たくさんの感情や思考がたくさんの場所に散らばってもう何が何やらわからない心を作ってしまったけれど、要望やバグを少しずつ改善していく今の業務のように、自分自身のすべてを整理していければいいな
幸せだったよ、と母は言った。
母から、突然の長文メールが届いた。
僕は、心を病んでしまっていたこと、仕事を辞めてしまっていたことの後ろめたさからあまり家族に会わないようにしていた。これまでずっと、心配をかけないよう特に母には自分の状況を伝えていなかった。いや、伝えていなかったのではなく、隠していたという方が正しいのかもしれない。
祖父を喪った祖母のため、先日親戚一同で慰安旅行に行った。僕と母は数年ぶりにそこで再会し、何年もの空白を埋めるかのようにたくさんの話をした。僕も出来るだけ正直に、けれども心配をさせないように、鬱だったこと、仕事を辞めていたこと、それでも今再起しようと努力をしていることを僕が知る最も柔らかい言葉を選んで伝えた。
子に「死のうと思っていた」と言われた親の心境はどんなものだろう。母は心配したのだろうか。今はもう大丈夫なんだと聞いて少しは安心してくれただろうか。言わない方が、母にとってよかったのだろうか。
そんなことを考えて少し不安に思っていると、母は、お母さんもそういう時期があったんだよ、と父とうまくいっていなかった時期の話や子供達が自立してしまった時に感じた喪失感、母親コミュニティにうまく馴染めず閉じこもってしまっていた時期の話をしてくれた。生きたいとか死にたいとか、未来や生活に関する漠然とした不安とか、自分が本当にしたいことがいまだに分からないとか、それがとても恐ろしいとか、そういったことを生まれて初めて親と赤裸々に語り合った。いくら血の繋がった家族といえど、家庭という空間では親や子はそれぞれのそれぞれらしい役割を求められる。息子として求められる規範、母親として求められる規範。僕は僕自身の認識として、社会人一年目の段階で子供としての仮面を外した。子供達が全員自立していき、ようやく母も母親らしい仮面を外すことができたのかもしれない。母と僕の語らいは既に、互いに仮面を外した純粋な個人同士、二人の対等な人間同士のものとなれたような気がした。
僕は母に全てをぶちまけ、母は母で人生の暗い部分を隠すことなく晒してくれた。僕はこのことにひどく安心し、肩の重荷や家族というコミュニティのしがらみ、後ろめたさやぼんやりとした不安の数々が取り払われたかのように感じた。母は自分の人生を恥じることなく受け入れ、僕は僕の人生を恥じることなく送っていく。母と交わした会話の内容は暗い告白に終始したけれど、しかし母と僕の心に湧き出た感情は決してネガティブなものではなかったように思う。
それから幾日か経った後、冒頭に書いたように母から突然の長文メールが届いた。 母からのメールには、こんなことが書いてあった。
「お母さんは、辛い時、あなたが一緒にいてくれたり、何気なく褒めてくれたりして、乗り切れました。幸せだったよ。あなたが幸せなことがお母さんの幸せ。」
祖父を喪くして一人ぼっちになってしまった祖母が一回り小さくなってしまったこと、あんなにプライドが高く元気なふりをしていた祖母が車椅子に座ることを恥ずかしがらないようになってしまったこと。きっと母は、祖母の姿を見て次は誰が喪われるのか、そしてその次の順番はおそらく自身の世代なのだろうと感じたのだと思う。「幸せだったよ。」という彼女の言葉に僕はとても衝撃を受けた。なんとなく、死を覚悟した人間の言葉なんだということが分かってしまったのだ。自分にとって死はそう遠いものではない。このメールは、きっと母のそんな気付きから出たものだ。言葉一つ一つにあまりに重い感情がこもっていた。
もしこれが母としての仮面を外した彼女が心底思っている結論だとすれば、僕ら親子はようやく対等に健全に、母と子ではなく二人の人間として、心の底から湧き上がる家族愛を持ち合えるようになったのかもしれない。
親が死ぬ覚悟をした。僕は何を思えばいいのだろう。もしかすると、子供に死のうと思っていたと告白された親の感情と、今僕が抱いているこの言葉にできない気持ちはとても似たものなのではないだろうか。
1年の空白期間があるエンジニアの就活記録 - 終章 -
就活記録3はこちら
転職活動終了のご報告
11/7あたりから行ってきた転職活動。
毎日のように何社もまわっていたおかげで、先週中にいくつか内定・内々定を頂戴していた。
内容と条件を吟味した上で、僕はとある企業へ内定承諾の連絡を差し上げた。
入社日は12月の頭になる。
つまり、僕がニートでいられるのは今月までというわけだ。
何度も書いてきたが、凄まじいスピード感だ。
転職ってこんなにもすんなりと決まるのか。
あまりのスピード感に来月から働き始める実感はまだ湧いてきておらず、一年もニートをしてきた僕にとって、労働なんてものはなにか別世界の話のようにさえ感じる。
意識が、なかなか現実に追いついてこない。
労働怖い。僕はまだそんな感じのままだ。
何度も書いているように、僕は前職を鬱で退職した。
今はただ同じ轍を踏み抜かないことを祈るばかりだ。
転職を振り返って。
僕は実質一週のうちに内定を勝ち取り転職活動を終えたわけだが、かといってそれは僕が特別転職活動をうまくやれたというわけではない。
社会的な要因として今がたまたま売り手市場であったり、前職の関係でお声掛けを頂いた企業もあったり、前職で経験した業務の市場価値が自分が想像していたより高く評価されたり。本当に偶然や人の温情が重なってこのようにうまくいっただけなように思う。
"うまく"やる事について、新卒の時と今で比べると
実際僕はこの転職活動中、面接や自己紹介は全然うまくできなかったよ。
新卒の時は就職活動ノウハウみたいな記事を読んだり面接対策をするのはとても良い事だと誤認していたから、見栄えの良い嘘をつく事になんの抵抗もなかった。自分は責任感があって、リーダー気質で、入社したら御社のために一生懸命頑張れるんだって、面接官だけではなく最早自分自身にそう言い聞かせていたような気がする。
今思えば、面接対策って何だったんだろうね。こう答えれば印象がいいとか、馬鹿みたいだ。自分をそんなテンプレートに当てはめたところで、入社後そのギャップに企業も本人も苦しむだけだろうに。
良い言葉を沢山使ってポジティブに自分自身を売り込むというのはまあ、営業的なテクニックの一つではあると思うけれど、就活という場においては契約さえ取れれば良いという話でもないわけで。契約したからって幸福になれるという確約はないし、企業が自分をどのように扱うのか、自分が企業に対しどう接していくのか、ちゃんとお互い嘘をつかずに擦り合わせていく方が随分とまともな世界であるように思う。
そういった意味ではやはり、新卒当時の方が面接や自己紹介を"うまく"は出来ていたと思う。もう僕はおじさんになってきていて、全部を全部"うまく"やる事に執着はしなくなってきているのだ。これは退化なのか進化なのか、かなりあやふやなことだ。
今回の転職活動において、特に社長や現場の偉い人と面談や会食をする上で「早く御社に貢献できるよう頑張ります」というようなことをなかなか言えなかったのが記憶と心に残っている。
最高に円満な形で前職を退職したわけではない、という後ろめたさが常に僕のどこかに存在していて、同じ事をもう一度やってしまうのではないかという疑念はきっと採用担当の方以上に僕自身が強く感じていた。
そして、自分の仕事に対する自信や社畜根性のようなものはニート期間である一年の間にとっくに風化してしまっていた。
だからこそ多分僕は、貢献や努力、頑張る、邁進というような前向きな単語を使うのが怖くなってしまっている。
その結果として、
「お互いにとって利益のある話になればいいと思います。」
と謎の上から目線で話を結論させることが今の僕の精一杯であった。笑える。
これから就活しようとしている人や転職を考えている人に向けて何か言えることがあるとすれば、まだ次の職場で働き始めてないからこれが正しいことだと断言はできないけれど、あんまり自分を粉飾する必要はないんじゃないかな。
"うまくやる"ことと"うまくいく"ことは必ずしも繋がりがあるものではないように思うよ。
何がどうなるかわかんないけどね、本当。
ニート期間で得たものはあったの?という問い
転職活動をしていたこともあって、最近よく聞かれるんだけど「ニート期間で何を得たの?」という話。
その話をするときに僕は大抵「自分探しの旅」の話をする。
よく、大学生は自分探しの旅とかいってガンジス川やアマゾン河に行くじゃない。
彼らがガンジスの底に自分を見つけられたのならばそれはとても良いことで、すごく羨ましいことだ。
自分はどこにいるんだろう、本当は何をしたいんだろう。青臭いと揶揄されがちな話だけれども、とても共感するよ。そういうことって、知りたいよね。
僕にとってのニート期間は、その自分探しの旅に似たようなものだったと思う。
そして僕の場合は、やはり自分は自分の部屋にいたと言える。
自分の部屋でぐうたらしている自分こそが自分なのだと、ニート半年目くらいに感じたよ。
半年の間に、階段を踏み外して足の骨を折ったり、知り合いの会社の手伝いとしてスカーフを売る接客業をしてみたり、大島まで釣りをしに行ったのにウツボしか釣れなかったり、千葉に引っ越してみたり、いろんなことがあった。
それぞれが楽しく素敵な思い出だけれども、やっぱり僕は家に居るのが一番好きだ。
引きこもり気質で俯きがちなコミュニケーションの奴隷、それこそが自分なんだと、僕は自宅でつまらないアニメをみているときに見つけた。
余談
足の骨を折った時は通っていた心療内科の医者に「こいつ絶対自殺しようとしただろ」という視線を向けられて大変だった。普通に深夜にラーメンを食べにいって、道中の階段を踏み外しただけなんだけどね。なんかわかんないけどすげー心配されて薬の量増えた。フツーにただの運動不足です。
そしてこれも余談なんだけど、スカーフを売るのも楽しかった。僕は元々ゲイっぽいというか、ストレートなのか非常に怪しい見た目をしていることもあって、おばさま方と思った以上に仲良くなれた。
一応宣伝というか今も手伝ってはいるのでURLだけでも貼っておこう。
上記のブランドで販売員として一時期手伝いをしていたんだけれど、少ない日数しか手伝っていないのに何故かファンというか「今日はあの男の子いないの」というような感じで固定客がついた。目黒でやったり吉祥寺でやったりしたんだけど、目黒のお客さんが吉祥寺までわざわざ来てくれるようなこともあったらしい。
働きながら勉強して、スカーフとかストールを何通りかの方法で巻けるようになったよ。男でスカーフの正しい折り方を知っている人はなかなかいないんじゃないか。すごいだろ。
話が逸れたがコミュニケーションに不安を抱えていた僕にとって、自分の接客でお客さんがついてくれたのはとても嬉しいことだった。エンジニアはあまりBtoCで言うCと直接関わることがないから、接客業を少しでも体験できたのは貴重な経験だ。
この経験ができたのも大学の時の知り合いのツテで、人と人とのつながりというものは掛け替えのないものをもたらしてくれるものだと改めて実感した。
今の気持ちまとめ
うわああああああ働きたくないいいいいいいいい
でも働かないといけないこともわかってるううううう
頑張るとか言えないけどそれなりにやっていこう、自分のやりたいこともそれなりにやっていこう
そしてお世話になった人たちどうもありがとうこれからもどうぞよろしくねこんな私だけど笑って許してね
という感じ。
1年の空白期間があるエンジニアの就活記録3 & 働くということについて今思うこと
就活記録の2はこちら
いい感じで選考は進んでいる。
内々定のような約束(どれだけ信頼性があるのかは不明)を2,3社から頂いた。
どこにしようか、あるいは全く違った道を選ぼうかまだ決めあぐねているため正式な内定は待ってもらっている。
ふ、ニートが生意気なことだろう。でも僕は一回失敗した身だから、できれば同じ失敗は繰り返したくないと強く思っているのだ。
それはさておき、11/7から本格的に転職活動を始めたことを考えるとまだ1週間しか経っていない。
中途採用って、すごいスピード感だ。
新卒採用の時は一社の内定を取ることさえあんなに大変だったのに、1週間で働かせてくれるところが決まる。これはとてもすごいことだ。
空白期間があることも、私病で休職をしていたことも伝えた上で前職と同等以上の待遇で迎えてくれようとしている。これはとても不思議なことでもある。
転職活動を始めた今「働く」ということについて考える
時流というか歴史というか、終身雇用が主流という文化は既に薄れているんだなあと肌で感じる。転職をすることは公務員とかでない限り当たり前のことになったし、長く会社にいると市場価値が上がるというよくわからない迷信も廃れた。流動化ってやつだ。
例えばこれが人々が自由に職業を選択できて、個々人がやりたくないことをやらないで済む社会になっている証明だというならばそれはとても喜ばしい。
けれども実際は流動化によって不利益を被っている人もたくさんいるわけだから、手放しには喜べないよね。非正規雇用のクビ切りとかネットカフェ難民とか。
どうにかならないのかね、労働って。
労働といえば以前、みなし残業について記事を書いた。
働いていた頃、帰宅途中の満員電車に揉まれながらシコシコ書いていたものだ。ニートになってから下書きを発掘して、自分で書いた文ながらあまりに熱量がこもっていたので書き途中のまま投稿したのを覚えている。
今読み返してもみなし残業という制度、あるいはそれを悪用する社会そのものに対して相当の悲しみというか恨みというかを感じていたことが伺える。やっぱりストレスが溜まっていたんだろう。もちろん甘えだったかもしれないけれど。
働き方、というのは本当に難しい問題だよね。
楽しければいいのかというとそんなこともなくて、企業である以上しっかりしないといけないところはある。 しかしあまりガツガツやりすぎて自分をないがしろにしてしまうと僕のようになってしまう。
人によってその尺度と言うか容量が違うのもまた難しさを加速させている原因の1つだと思う。
つまり、ホワイトカラーと呼ばれる仕事が増えたことによってそれが顕著になっているんだろうね。
ちょっと前電通の女の子が過労自殺をしてしまったけれども、ニートの僕としてはなんとも難しい事件だ。
きっと彼女は自分の仕事に誇りを持った真面目な人で、責任感がとても強かったんだろう。甘ったれな僕のように無責任に休職をしたり辞職をしたりすることができなかったんだろう。
優秀な人ほど苦労する、というのは何だかおかしな話ではあるように聞こえるけれども、現実はそんなことばかりだ。
想像してしまうことがある。もしかすると僕が会社を辞めたせいで、僕の仕事を引き継いだ人の中に彼女のように追い詰められた人がいたんじゃないかって。ゾッとする話だ。労働をするとかしないとかっていうことは、無意識に誰かを追い詰めてしまうことがあることなんだ。世阿弥じゃないけど、恋よ恋、みたいな話だね。労働は人を殺すこともあるんだ。
生きるように働く
僕は日本仕事百貨というサイトがとても好きで、在職中からずっとみていた。
そのサイトは仕事情報を載せているサイトで、紹介する仕事先をしっかりと取材しているところが気に入っている。どんな人が働いていて、どんな環境で働けて、どんな人に貢献できるのか。それらをとても美しくあたたかい文章で伝えていて、ただ読んでいるだけでも心が安らぐ。
日本仕事百貨のキャッチコピーに「生きるように働く」というようなものがあって、初めて見たとき僕は意味がよくわからなかった。
けれど、それこそ仕事で鬱になりかけていた時期に、ふと「死ぬように働く」という言葉が思い浮かんできた。
そのとき「生きるように働く」という言葉の本当の意味がスッと自分の中に入ってきた気がした。
「どうしても御社で働きたいのです」と日本仕事百貨にメールを送りながら、ポロポロと涙を流したことを覚えている。あのときも満員電車の中だったっけ。
求人もしていない会社に泣きながらそんなメールを送るなんて、今考えると日本仕事百貨の中の人は困っただろうなあ。すみません、辛かったんだと思います。
働く環境を改善すること
なんかこう、文句ばっかり言っているようになってしまうのは本意ではないので、一応僕もこういうことをして自分で改善しようとしていたよ、という話をしておきたい。
僕は前職で、みんなが働きやすいような環境を作ろうと「社内課題解決チーム」のようなものを率いて様々な施策を打った。どれもがうまくいったわけではないけれど、いくつか記憶に残っているものがある。
一つは、1on1制度。上司と一対一で話す機会を少なくとも隔週で設ける制度だ。
「上司と腹を割って話せる機会が、半期に一回の評価面談の場しかない」
という社員の不満を拾い上げて、上も上、エンジニア長を飛び越して本部長クラスに直談判して、事業部全体の制度としてこの制度を作った。
評価面談の場じゃあ変なことは言えないからなあ。僕自身その気持ちがよくわかるから、特に力を入れて作った制度だった。
1on1を行う際の約束として「その場で話したことは評価に加味してはいけない」というルールを設けた。
機械と機械が働いている訳じゃあないんだから、たまには本音で話そうよ。売り上げや利益と言った数字で相手を見るのではなくて、人と人として話してみようよ、というメッセージを込めたつもりだった。
僕は平和主義というか理想主義なのであんまりそういうことはなかったけれど、営業の人は結構ぶつかり合ったみたいで、良いんだか悪いんだか本人達はより結束が強まっていたように見えた。制度を作った身としてはぶつかり合ったって話を聞いたときはちょっとビックリしたけど。
そしてもう一つは、僕がエンジニアとそれ以外の人の架け橋になること。
この記事の内容は実は社内のアウトプットの場で発表したスライドを記事にしたものなんだけれど、これはあんまりうまくいかなかった施策だ。
ストレスの相互理解による健康的な宇宙の創造、というちょっとおちゃらけたテーマにしてはみたんだけれども、
どうしてもこう、僕自身の不満とか辛さみたいなのを強く押し出してしまって、独りよがりの発表になってしまった。
やっぱり自分に必死になり過ぎていると、何もかもあんまりうまくいかないもんだよね。
当時はちょっとシャレが効いてる良い発表だと思っていたけれど、今見たらただの愚痴に見えるもんね。
よくないね。
おわりに
やはりこう、僕はまだ働くということについて完全に前向きになれた訳ではないけれど、過去の反省ができるようになってきた自覚はある。
一年ニートすると流石に自分のことを客観視できるようになるね。おすすめはしないけど。
こうして改めて過去を振り返ると、やっぱり僕は働き方とかワークライフバランスとか、ライフワークとか、そういう生き方と働き方をより優しいものにしていきたいっていう思いがずっとあったんだなあと感じる。
それを自分で実現できていないんだから今のところ結局ただの夢想家みたいなもんなんだけど、そう、なんかそういう世界になっていったらとても良いよね。そのためだったら努力もできそうな気がするんだよね。
なんつってね。
1年の空白期間があるエンジニアの就活記録2
その1はこちら
お祈り申し上げます
大学5年生の頃、僕は特にスキルや資格というものを持ち合わせていなかった。
そのため、就職活動の時に散々お祈りをされた記憶がある。
当時僕は小説家になりたいという夢を捨て切れず、出版関係を中心に20社ほどエントリーシートを送りつけた。
結果としてはほぼ惨敗。面談に進んでも2次面接や役員面接で大体落とされた。
お祈り。
僕は今転職活動をしているが、新卒採用当時とは違いお祈りをする立場へと変わった。
今SEはどこも人不足のようである。
前職プラス50万の500万という年収を提示した上で面談を受けに行くと「この経歴ならもっと出せるから早く来てくれ」とさえ言われる。
大抵の会社は残業時間が多かったりポジションが僕のやりたいこととはズレていたりするので、心苦しいながらお断りをすることになる。
「末尾ながら、貴社の益々のご発展をお祈り申し上げます。」
就職活動を本格的に始めてから1週間も経っていないが、すでにこの文言を数回打鍵した。
お祈りする側になって初めてわかる。お祈りとはこんなにも無慈悲なものであったのかと。
エンジニアで空白期間があるって実際どうなの?
結論から言って、エンジニアの場合一年の空白期間では市場価値は下がらないと見ていい。
今の所5,6社受けているが、空白期間について深く突っ込まれたことはない。
僕の場合は多少友人の会社を手伝っていたこともあり、全くの空白期間とは捉えられていないのもあるかもしれないが、そもそも書類で落とされるようなことはない。
そして何より前職でやめる寸前、死に物狂いで役職をGETしたのがでかい。
リーダー職へ昇進したということは前職で実績が認められた証明になる。当然提示金額も前職を参考にされる為、最後っ屁で年収をがっつり上げておいたのは幸いだった。
一年以上の空白期間がある場合についてはまだ分からないが、とりあえず一年以内の空白期間があって転職に踏み切れないSEの人は安心してほしい。全くと言っていいほど気にされないから。
そして今仕事を辞めようとしているSEの人々には、最後っ屁で給料か役職を上げる交渉をすることをオススメする。次回の待遇に響くので周囲の目を気にせず上司に直談判しておくと良い。企業にとっては非常に迷惑な行為であるかもしれないが、しかし自分の人生が一番大切だ。最後くらいワガママを言ってみよう。
就職活動と転職活動の違い
一番強く実感したのはスピード感の違いだ。
大学で就職活動をしていた際は内定まで少なく見積もって3ヶ月はかかるという認識があった。
しかし転職ではそこまで長くかからない。1ヶ月もあれば内定はもらえる。
最短でいうと最初の面談から1~2週間で内定が出そうな会社もある。
前職を辞めようと考えていた際、自分の市場価値も分かっておらずなんとなくのイメージで転職活動は大変そう、と転職活動をしていなかった。
いざやってみればなんて簡単なことに不安を感じていたのだろう、というのが今の気持ちだ。
当時はジョブホッパーになってはいけない、同じ会社に長く勤めていればいるほど自分の市場価値が高まるのだろう、などいろいろなことを考えていた。
しかしそんなことは全くもってない。的外れなことを考えていた。
インターネット広告業界の経験、PHPの開発経験、新しい技術の取り入れ、チーム構築や文化醸成の経験、自分発信での新規事業開発、どれもが他社から見れば若いのに責任のある仕事をいろいろやっているね、という高評価ポイントになるらしい。
そう考えると前職の会社には感謝すべきかもしれない。ハードではあったがそれなりにいろいろな経験を積めた。1年の空白期間を埋めるだけの実績を僕は3年間の内に積み上げてきたようである。全く自覚がなかった。
確かに、新卒採用と中途採用では企業にとってのリスクが違う。新卒なんて何のスキルもない人がほとんどで、育成に失敗すれば社内のお荷物になってしまうかもしれない。しかし中途ならば少なくとも出来ることがある人しか雇われない。もし当初見積もっていたポジションでその人が腐ってしまうようであれば、その人を活かせるような事業や部署に配置換えをすれば良いだけのことなのだ。
なるほどなあ。当時は雇う側のリスクなんて考えもしなかったよ。 これもまた僕がひとつ成長した証ということなのだろうか。
一年の離職期間があるエンジニアの就職活動記録
1年の空白期間があって就職できるか不安
今まで無職をしていた僕は、最近就職活動をしている。
一般的には三ヶ月以上の空白期間があると採用を敬遠されることがあるという。
一方で半年くらいなら気にしないというところもあるという。
僕の場合はそれらを超えた一年間もの空白期間を作ってしまい、上記の慣習からいえば書類で落とされる可能性がとても高い。
もう一度本当に就職ができるのかとても不安なのだ。
不安をそのままにしていられる性分ではない僕は、就職活動を始めてみることにした。
つかった転職サービスは以下二つ
ステマでもなんでもなく、何か紹介したからといって僕に利益はないので転職を考えている人は見てみて欲しい。
ブランクのある就職活動をする際の心構え
ブランクがあるといっても、一人一人仕事に対して譲れない点はあると思う。
ならば就職活動を始める前にまず、最低限のマスト条件を決めるべきだ。
僕の場合は以下の点をマストと設定した。
- 前職と同等以上の年収
- 自分の仕事量を自分でコントロールできるか
- 1時間に一本タバコを吸う時間をもらえるか
この三点だけは譲れないポイントとした。3点目は別に譲ってもいいような気はするが、一度鬱で退職している以上リフレッシュの時間くらい譲れない。
転職サイトでの感触
僕がSEのリーダー職についていたこともあり、オファー自体はガンガン来る。
Greenはエンジニアメインの求人サービスのため、it関係でよく見かける企業なんかからもスカウトがくる。
ビズリーチの方もガシガシくるが、エージェントからのオファーもあるのでそちらはあまりあてにしていない。こちらは非公開求人が豊富でなかなか見ない会社からオファーが来て面白い。
現状のオファー量はそれなりに多く、なんとなく就職自体はそれほど難しい問題ではないような気がしてくる。しかし空白期間についてうまく伝わっていないのかもしれないので、職務経歴書をよりわかりやすいように二つとも更新してみなければならない。
転職フローへの不満
こちらから送る職務経歴書や履歴書はすでに準備しており、あらかじめそれを送ってから選考を進めてもらいたいと僕は考えていた。
しかし転職サイトから複数の企業にエントリーをしてみると、とりあえず面談という形で話をしたいと言われる。会う前に条件面やポジションの提示をしてくれないのは多少不満でならない。必要とあらばアンケートのようなものを送ってきてもらっても良いので、早くこちらにも判断材料を与えて欲しい。
友人や過去の先輩からの誘い
ニートが就職活動を始める、と各SNSに投稿したところ、何社か声がかかった。
そちらの会社の人と面談をすることになったり、ウチは100%入れるから他のとこ見てダメだったらいいな〜とか中々心強いお誘いも頂いた。
やはり交友関係の広さは社会復帰に大きく貢献してくれるものなのだと感じる。
転職や離職後の就職活動を行う際は是非、友人にも相談しておくことをお勧めする。親切な人は人事課まで行って募集してるかどうかまで問い合わせてくれた人もいた。
今のところの結論
実際また面談の予定ばかりで選考フローに入ったとも言えないのだが、明日も三社と面談をしてくることとなった。 感触としては「全部落ちるということはなさそう」という印象である。
一年ブランクがあるとはいえ、一度SEとしてそれなりに経験を積んだことで「手に職」はついている状態なんだな、と初めて認識できた。これはとてもよろこばしいことだ。
出てくる欲望
そうなってくると、ボーナスが二ヶ月*年二回以上出る会社とか、みなし残業を取り入れていない会社とか、そういう会社も受けてみようかなあという欲望が出てくる。
マザーズ上場くらいの会社では意外とボーナスや手当が整っておらず、よくて一ヶ月*年二回という会社が多いのだ。
福利厚生のしっかりした大手企業というやつまで視野に入れて転職活動を進めたくなってきた。
ボーナス3ヶ月分*2回とかの会社があれば是非ぼくを雇って欲しい。
PHPのスキルとリーダー経験とアドテク関連の知識はそれなりにあるのでキャッチアップの時間さえもらえればそこそこ貢献できると思う。
これを見ている人の中で気になっている人がいれば是非連絡を下さい。スカスカの職務経歴書を速攻で送りつけてやりますよ