ここはクソみたいなインターネッツですね

逆にクソじゃないインターネッツってどこ

1年の空白期間があるエンジニアの就活記録 - 終章 -

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就活記録3はこちら

teeeeeeemo.hatenablog.com

転職活動終了のご報告

11/7あたりから行ってきた転職活動。

毎日のように何社もまわっていたおかげで、先週中にいくつか内定・内々定を頂戴していた。

内容と条件を吟味した上で、僕はとある企業へ内定承諾の連絡を差し上げた。

入社日は12月の頭になる。

つまり、僕がニートでいられるのは今月までというわけだ。

何度も書いてきたが、凄まじいスピード感だ。

転職ってこんなにもすんなりと決まるのか。

あまりのスピード感に来月から働き始める実感はまだ湧いてきておらず、一年もニートをしてきた僕にとって、労働なんてものはなにか別世界の話のようにさえ感じる。

意識が、なかなか現実に追いついてこない。

労働怖い。僕はまだそんな感じのままだ。

何度も書いているように、僕は前職を鬱で退職した。

今はただ同じ轍を踏み抜かないことを祈るばかりだ。

転職を振り返って。

僕は実質一週のうちに内定を勝ち取り転職活動を終えたわけだが、かといってそれは僕が特別転職活動をうまくやれたというわけではない。

社会的な要因として今がたまたま売り手市場であったり、前職の関係でお声掛けを頂いた企業もあったり、前職で経験した業務の市場価値が自分が想像していたより高く評価されたり。本当に偶然や人の温情が重なってこのようにうまくいっただけなように思う。

"うまく"やる事について、新卒の時と今で比べると

実際僕はこの転職活動中、面接や自己紹介は全然うまくできなかったよ。

新卒の時は就職活動ノウハウみたいな記事を読んだり面接対策をするのはとても良い事だと誤認していたから、見栄えの良い嘘をつく事になんの抵抗もなかった。自分は責任感があって、リーダー気質で、入社したら御社のために一生懸命頑張れるんだって、面接官だけではなく最早自分自身にそう言い聞かせていたような気がする。

今思えば、面接対策って何だったんだろうね。こう答えれば印象がいいとか、馬鹿みたいだ。自分をそんなテンプレートに当てはめたところで、入社後そのギャップに企業も本人も苦しむだけだろうに。

良い言葉を沢山使ってポジティブに自分自身を売り込むというのはまあ、営業的なテクニックの一つではあると思うけれど、就活という場においては契約さえ取れれば良いという話でもないわけで。契約したからって幸福になれるという確約はないし、企業が自分をどのように扱うのか、自分が企業に対しどう接していくのか、ちゃんとお互い嘘をつかずに擦り合わせていく方が随分とまともな世界であるように思う。

そういった意味ではやはり、新卒当時の方が面接や自己紹介を"うまく"は出来ていたと思う。もう僕はおじさんになってきていて、全部を全部"うまく"やる事に執着はしなくなってきているのだ。これは退化なのか進化なのか、かなりあやふやなことだ。

今回の転職活動において、特に社長や現場の偉い人と面談や会食をする上で「早く御社に貢献できるよう頑張ります」というようなことをなかなか言えなかったのが記憶と心に残っている。

最高に円満な形で前職を退職したわけではない、という後ろめたさが常に僕のどこかに存在していて、同じ事をもう一度やってしまうのではないかという疑念はきっと採用担当の方以上に僕自身が強く感じていた。

そして、自分の仕事に対する自信や社畜根性のようなものはニート期間である一年の間にとっくに風化してしまっていた。

だからこそ多分僕は、貢献や努力、頑張る、邁進というような前向きな単語を使うのが怖くなってしまっている。

その結果として、

「お互いにとって利益のある話になればいいと思います。」

と謎の上から目線で話を結論させることが今の僕の精一杯であった。笑える。

これから就活しようとしている人や転職を考えている人に向けて何か言えることがあるとすれば、まだ次の職場で働き始めてないからこれが正しいことだと断言はできないけれど、あんまり自分を粉飾する必要はないんじゃないかな。

"うまくやる"ことと"うまくいく"ことは必ずしも繋がりがあるものではないように思うよ。

何がどうなるかわかんないけどね、本当。

ニート期間で得たものはあったの?という問い

転職活動をしていたこともあって、最近よく聞かれるんだけど「ニート期間で何を得たの?」という話。

その話をするときに僕は大抵「自分探しの旅」の話をする。

よく、大学生は自分探しの旅とかいってガンジス川やアマゾン河に行くじゃない。

彼らがガンジスの底に自分を見つけられたのならばそれはとても良いことで、すごく羨ましいことだ。

自分はどこにいるんだろう、本当は何をしたいんだろう。青臭いと揶揄されがちな話だけれども、とても共感するよ。そういうことって、知りたいよね。

僕にとってのニート期間は、その自分探しの旅に似たようなものだったと思う。

そして僕の場合は、やはり自分は自分の部屋にいたと言える。

自分の部屋でぐうたらしている自分こそが自分なのだと、ニート半年目くらいに感じたよ。

半年の間に、階段を踏み外して足の骨を折ったり、知り合いの会社の手伝いとしてスカーフを売る接客業をしてみたり、大島まで釣りをしに行ったのにウツボしか釣れなかったり、千葉に引っ越してみたり、いろんなことがあった。

それぞれが楽しく素敵な思い出だけれども、やっぱり僕は家に居るのが一番好きだ。

引きこもり気質で俯きがちなコミュニケーションの奴隷、それこそが自分なんだと、僕は自宅でつまらないアニメをみているときに見つけた。

余談

足の骨を折った時は通っていた心療内科の医者に「こいつ絶対自殺しようとしただろ」という視線を向けられて大変だった。普通に深夜にラーメンを食べにいって、道中の階段を踏み外しただけなんだけどね。なんかわかんないけどすげー心配されて薬の量増えた。フツーにただの運動不足です。

そしてこれも余談なんだけど、スカーフを売るのも楽しかった。僕は元々ゲイっぽいというか、ストレートなのか非常に怪しい見た目をしていることもあって、おばさま方と思った以上に仲良くなれた。

一応宣伝というか今も手伝ってはいるのでURLだけでも貼っておこう。

vivianazoe.com

上記のブランドで販売員として一時期手伝いをしていたんだけれど、少ない日数しか手伝っていないのに何故かファンというか「今日はあの男の子いないの」というような感じで固定客がついた。目黒でやったり吉祥寺でやったりしたんだけど、目黒のお客さんが吉祥寺までわざわざ来てくれるようなこともあったらしい。

働きながら勉強して、スカーフとかストールを何通りかの方法で巻けるようになったよ。男でスカーフの正しい折り方を知っている人はなかなかいないんじゃないか。すごいだろ。

話が逸れたがコミュニケーションに不安を抱えていた僕にとって、自分の接客でお客さんがついてくれたのはとても嬉しいことだった。エンジニアはあまりBtoCで言うCと直接関わることがないから、接客業を少しでも体験できたのは貴重な経験だ。

この経験ができたのも大学の時の知り合いのツテで、人と人とのつながりというものは掛け替えのないものをもたらしてくれるものだと改めて実感した。

今の気持ちまとめ

うわああああああ働きたくないいいいいいいいい

でも働かないといけないこともわかってるううううう

頑張るとか言えないけどそれなりにやっていこう、自分のやりたいこともそれなりにやっていこう

そしてお世話になった人たちどうもありがとうこれからもどうぞよろしくねこんな私だけど笑って許してね

という感じ。

1年の空白期間があるエンジニアの就活記録3 & 働くということについて今思うこと

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就活記録の2はこちら

teeeeeeemo.hatenablog.com

いい感じで選考は進んでいる。

内々定のような約束(どれだけ信頼性があるのかは不明)を2,3社から頂いた。

どこにしようか、あるいは全く違った道を選ぼうかまだ決めあぐねているため正式な内定は待ってもらっている。

ふ、ニートが生意気なことだろう。でも僕は一回失敗した身だから、できれば同じ失敗は繰り返したくないと強く思っているのだ。

それはさておき、11/7から本格的に転職活動を始めたことを考えるとまだ1週間しか経っていない。

中途採用って、すごいスピード感だ。

新卒採用の時は一社の内定を取ることさえあんなに大変だったのに、1週間で働かせてくれるところが決まる。これはとてもすごいことだ。

空白期間があることも、私病で休職をしていたことも伝えた上で前職と同等以上の待遇で迎えてくれようとしている。これはとても不思議なことでもある。

転職活動を始めた今「働く」ということについて考える

時流というか歴史というか、終身雇用が主流という文化は既に薄れているんだなあと肌で感じる。転職をすることは公務員とかでない限り当たり前のことになったし、長く会社にいると市場価値が上がるというよくわからない迷信も廃れた。流動化ってやつだ。

例えばこれが人々が自由に職業を選択できて、個々人がやりたくないことをやらないで済む社会になっている証明だというならばそれはとても喜ばしい。

けれども実際は流動化によって不利益を被っている人もたくさんいるわけだから、手放しには喜べないよね。非正規雇用のクビ切りとかネットカフェ難民とか。

どうにかならないのかね、労働って。

労働といえば以前、みなし残業について記事を書いた。

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働いていた頃、帰宅途中の満員電車に揉まれながらシコシコ書いていたものだ。ニートになってから下書きを発掘して、自分で書いた文ながらあまりに熱量がこもっていたので書き途中のまま投稿したのを覚えている。

今読み返してもみなし残業という制度、あるいはそれを悪用する社会そのものに対して相当の悲しみというか恨みというかを感じていたことが伺える。やっぱりストレスが溜まっていたんだろう。もちろん甘えだったかもしれないけれど。

働き方、というのは本当に難しい問題だよね。

楽しければいいのかというとそんなこともなくて、企業である以上しっかりしないといけないところはある。 しかしあまりガツガツやりすぎて自分をないがしろにしてしまうと僕のようになってしまう。

人によってその尺度と言うか容量が違うのもまた難しさを加速させている原因の1つだと思う。

つまり、ホワイトカラーと呼ばれる仕事が増えたことによってそれが顕著になっているんだろうね。

ちょっと前電通の女の子が過労自殺をしてしまったけれども、ニートの僕としてはなんとも難しい事件だ。

きっと彼女は自分の仕事に誇りを持った真面目な人で、責任感がとても強かったんだろう。甘ったれな僕のように無責任に休職をしたり辞職をしたりすることができなかったんだろう。

優秀な人ほど苦労する、というのは何だかおかしな話ではあるように聞こえるけれども、現実はそんなことばかりだ。

想像してしまうことがある。もしかすると僕が会社を辞めたせいで、僕の仕事を引き継いだ人の中に彼女のように追い詰められた人がいたんじゃないかって。ゾッとする話だ。労働をするとかしないとかっていうことは、無意識に誰かを追い詰めてしまうことがあることなんだ。世阿弥じゃないけど、恋よ恋、みたいな話だね。労働は人を殺すこともあるんだ。

生きるように働く

僕は日本仕事百貨というサイトがとても好きで、在職中からずっとみていた。

そのサイトは仕事情報を載せているサイトで、紹介する仕事先をしっかりと取材しているところが気に入っている。どんな人が働いていて、どんな環境で働けて、どんな人に貢献できるのか。それらをとても美しくあたたかい文章で伝えていて、ただ読んでいるだけでも心が安らぐ。

日本仕事百貨のキャッチコピーに「生きるように働く」というようなものがあって、初めて見たとき僕は意味がよくわからなかった。

けれど、それこそ仕事で鬱になりかけていた時期に、ふと「死ぬように働く」という言葉が思い浮かんできた。

そのとき「生きるように働く」という言葉の本当の意味がスッと自分の中に入ってきた気がした。

「どうしても御社で働きたいのです」と日本仕事百貨にメールを送りながら、ポロポロと涙を流したことを覚えている。あのときも満員電車の中だったっけ。

求人もしていない会社に泣きながらそんなメールを送るなんて、今考えると日本仕事百貨の中の人は困っただろうなあ。すみません、辛かったんだと思います。

働く環境を改善すること

なんかこう、文句ばっかり言っているようになってしまうのは本意ではないので、一応僕もこういうことをして自分で改善しようとしていたよ、という話をしておきたい。

僕は前職で、みんなが働きやすいような環境を作ろうと「社内課題解決チーム」のようなものを率いて様々な施策を打った。どれもがうまくいったわけではないけれど、いくつか記憶に残っているものがある。

一つは、1on1制度。上司と一対一で話す機会を少なくとも隔週で設ける制度だ。

「上司と腹を割って話せる機会が、半期に一回の評価面談の場しかない」

という社員の不満を拾い上げて、上も上、エンジニア長を飛び越して本部長クラスに直談判して、事業部全体の制度としてこの制度を作った。

評価面談の場じゃあ変なことは言えないからなあ。僕自身その気持ちがよくわかるから、特に力を入れて作った制度だった。

1on1を行う際の約束として「その場で話したことは評価に加味してはいけない」というルールを設けた。

機械と機械が働いている訳じゃあないんだから、たまには本音で話そうよ。売り上げや利益と言った数字で相手を見るのではなくて、人と人として話してみようよ、というメッセージを込めたつもりだった。

僕は平和主義というか理想主義なのであんまりそういうことはなかったけれど、営業の人は結構ぶつかり合ったみたいで、良いんだか悪いんだか本人達はより結束が強まっていたように見えた。制度を作った身としてはぶつかり合ったって話を聞いたときはちょっとビックリしたけど。

そしてもう一つは、僕がエンジニアとそれ以外の人の架け橋になること。

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この記事の内容は実は社内のアウトプットの場で発表したスライドを記事にしたものなんだけれど、これはあんまりうまくいかなかった施策だ。

ストレスの相互理解による健康的な宇宙の創造、というちょっとおちゃらけたテーマにしてはみたんだけれども、

どうしてもこう、僕自身の不満とか辛さみたいなのを強く押し出してしまって、独りよがりの発表になってしまった。

やっぱり自分に必死になり過ぎていると、何もかもあんまりうまくいかないもんだよね。

当時はちょっとシャレが効いてる良い発表だと思っていたけれど、今見たらただの愚痴に見えるもんね。

よくないね。

おわりに

やはりこう、僕はまだ働くということについて完全に前向きになれた訳ではないけれど、過去の反省ができるようになってきた自覚はある。

一年ニートすると流石に自分のことを客観視できるようになるね。おすすめはしないけど。

こうして改めて過去を振り返ると、やっぱり僕は働き方とかワークライフバランスとか、ライフワークとか、そういう生き方と働き方をより優しいものにしていきたいっていう思いがずっとあったんだなあと感じる。

それを自分で実現できていないんだから今のところ結局ただの夢想家みたいなもんなんだけど、そう、なんかそういう世界になっていったらとても良いよね。そのためだったら努力もできそうな気がするんだよね。

なんつってね。

1年の空白期間があるエンジニアの就活記録2

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その1はこちら

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お祈り申し上げます

大学5年生の頃、僕は特にスキルや資格というものを持ち合わせていなかった。

そのため、就職活動の時に散々お祈りをされた記憶がある。

当時僕は小説家になりたいという夢を捨て切れず、出版関係を中心に20社ほどエントリーシートを送りつけた。

結果としてはほぼ惨敗。面談に進んでも2次面接や役員面接で大体落とされた。

お祈り。

僕は今転職活動をしているが、新卒採用当時とは違いお祈りをする立場へと変わった。

今SEはどこも人不足のようである。

前職プラス50万の500万という年収を提示した上で面談を受けに行くと「この経歴ならもっと出せるから早く来てくれ」とさえ言われる。

大抵の会社は残業時間が多かったりポジションが僕のやりたいこととはズレていたりするので、心苦しいながらお断りをすることになる。

「末尾ながら、貴社の益々のご発展をお祈り申し上げます。」

就職活動を本格的に始めてから1週間も経っていないが、すでにこの文言を数回打鍵した。

お祈りする側になって初めてわかる。お祈りとはこんなにも無慈悲なものであったのかと。

エンジニアで空白期間があるって実際どうなの?

結論から言って、エンジニアの場合一年の空白期間では市場価値は下がらないと見ていい。

今の所5,6社受けているが、空白期間について深く突っ込まれたことはない。

僕の場合は多少友人の会社を手伝っていたこともあり、全くの空白期間とは捉えられていないのもあるかもしれないが、そもそも書類で落とされるようなことはない。

そして何より前職でやめる寸前、死に物狂いで役職をGETしたのがでかい。

リーダー職へ昇進したということは前職で実績が認められた証明になる。当然提示金額も前職を参考にされる為、最後っ屁で年収をがっつり上げておいたのは幸いだった。

一年以上の空白期間がある場合についてはまだ分からないが、とりあえず一年以内の空白期間があって転職に踏み切れないSEの人は安心してほしい。全くと言っていいほど気にされないから。

そして今仕事を辞めようとしているSEの人々には、最後っ屁で給料か役職を上げる交渉をすることをオススメする。次回の待遇に響くので周囲の目を気にせず上司に直談判しておくと良い。企業にとっては非常に迷惑な行為であるかもしれないが、しかし自分の人生が一番大切だ。最後くらいワガママを言ってみよう。

就職活動と転職活動の違い

一番強く実感したのはスピード感の違いだ。

大学で就職活動をしていた際は内定まで少なく見積もって3ヶ月はかかるという認識があった。

しかし転職ではそこまで長くかからない。1ヶ月もあれば内定はもらえる。

最短でいうと最初の面談から1~2週間で内定が出そうな会社もある。

前職を辞めようと考えていた際、自分の市場価値も分かっておらずなんとなくのイメージで転職活動は大変そう、と転職活動をしていなかった。

いざやってみればなんて簡単なことに不安を感じていたのだろう、というのが今の気持ちだ。

当時はジョブホッパーになってはいけない、同じ会社に長く勤めていればいるほど自分の市場価値が高まるのだろう、などいろいろなことを考えていた。

しかしそんなことは全くもってない。的外れなことを考えていた。

インターネット広告業界の経験、PHPの開発経験、新しい技術の取り入れ、チーム構築や文化醸成の経験、自分発信での新規事業開発、どれもが他社から見れば若いのに責任のある仕事をいろいろやっているね、という高評価ポイントになるらしい。

そう考えると前職の会社には感謝すべきかもしれない。ハードではあったがそれなりにいろいろな経験を積めた。1年の空白期間を埋めるだけの実績を僕は3年間の内に積み上げてきたようである。全く自覚がなかった。

確かに、新卒採用と中途採用では企業にとってのリスクが違う。新卒なんて何のスキルもない人がほとんどで、育成に失敗すれば社内のお荷物になってしまうかもしれない。しかし中途ならば少なくとも出来ることがある人しか雇われない。もし当初見積もっていたポジションでその人が腐ってしまうようであれば、その人を活かせるような事業や部署に配置換えをすれば良いだけのことなのだ。

なるほどなあ。当時は雇う側のリスクなんて考えもしなかったよ。 これもまた僕がひとつ成長した証ということなのだろうか。

一年ニートをした僕がニートとして感じた「生きづらさ」について

なぜ再度働こうと思ったのか

僕は、去年の12月から鬱になり休職をした。休職期間である三ヶ月を過ぎても病状はよくならなかった為、そのまま辞職をした。

働きたくない、働きたくない。僕はその一心で日々怠惰を貪っていたのである。

結論から言って、長きに渡るニート期間を経ても未だ労働意欲は出ていない。

働きたくないという気持ちは少しずつ薄れては来たが、働かないでいいのなら働きたくはない。当然だ。

ではなぜ、僕はそんな状態のまま就職活動を始めようと思い立ったのか。

きっかけは前の会社の先輩が誘ってくれたことだった。

正直そんなに乗り気ではなかったのだが、お誘いを無碍にするのもアレなので話を聞いてみることにした。

業務内容は、前職と同じシステムエンジニアPHPを用いた広告関連の事業をしているらしい。

ニートが就職するとなると正直に言って給与なんか選り好みしている場合ではないのだけれども、今僕は働かずとも傷病手当を貰えている状態。ダメ元で前職と同等か上回る給与は出せるか聞いてみた。

多分出るらしい。

その他気になる点、例えば年間休日や有給消化率、残業の有無やみなし残業制度の有無、より具体的な業務内容なども聞いてみた。どこかに落とし穴があるんじゃないかと粗探しをしたのだが、最終的には少なくとも前職よりは良いところのように思えたし前職の経験も十分活かせそうだった。

ちなみに、今週中にその会社の役員と面談をする約束をし、まだそこに入社するかどうかは決まっていない状態である。

僕としては、意外だったのだ。一年に渡るニート生活を経た僕でも、そんな高待遇で雇ってくれる会社があるのか。自身の価値を疑問に思ったので、ものはためしと各転職サイトに職務経歴書をアップロードしてみた。

結果、かなりオファーがくる。

これってもしかして僕それなりに市場価値あるんじゃねぇ?という思いが芽生え始め、まあその先輩の会社に決まらずとも雇ってくれる会社はありそうだと非常に安心した。

それに加え、現在の経済状況を説明しておこう。今の月の収入は傷病手当だけである。 僕の場合は17万ほど月々振り込まれる。

2万は健康保険料に消え、昨年の収入準拠の住民税なんかは二ヶ月ごとに5万程度もっていく。家賃云々で毎月6〜8万程取られ、食費に三万程かかる。

正直かなりキツイ。

こんなような状態なので、金銭的に心配事ばかりの毎日を送っている。このままでは、鬱を療養しているにもかかわらずむしろ心配事ばかりで症状が悪化していくのではないかという思いもあって、そろそろ働き始めようと考えたわけである。

ニートのつらみ

ニート時代、やはり働いた方がいいのかな、働いていない人はこの社会では生きられないのかな、と思うことが多々あった。

ニートになったことのない人やこれからニートになる人のために、僕がニートで苦労したことを記しておきたい。

  • 引越し

引越しをするとき、ニートだった故保証会社や保証人のところで非常に苦労した。付き合っている彼女の名義で借りてもらおうかとも思ったが他人に迷惑をかけるのはたとえニートだとしても気がひける。保証会社からは「どうやって支払いしていくつもりですか?」と容赦のない質問をされ、不動産会社では「コイツニートかよ」というような表情をされる。

彼女が不動産会社に付き添ってくれたけれども、職業欄に「無職」と書いているところをみられるのは精神的になかなかクるものがあった。

なんとか審査のゆるい保証会社を不動産会社が見つけてくれたおかげで、賃貸契約を結ぶことができた。しかし中々ニートを受け入れてくれるところはないのだ。無職は住所さえ手に入れづらい。一度ニートになってしまったら、なかなか住所も手に入れられず再就職も厳しいものとなる。

  • 親族への心証

兄弟には「鬱になって仕事辞めました」と早めに伝えたが、いかんせん親には言いづらい。というか今も言っていない。

お父さんお母さん、僕実はニートなの。

この一言を実際親に言う想像をしてみてほしい。

親の悲しむ顔が眼に浮かぶ

こんな悲しい世界があっていいのだろうか、僕は仕事を辞めたというだけでこんな悲しい世界を作り上げてしまったのだろうか。ニートという現状について、こういうことを考える時最も辛い気持ちになる。

そもそも親兄弟に合わせる顔がない。無駄に心配もかけたくないし、鬱だということも伝えたくない。

ちなみに親戚の集まりが来月にあるらしいが、どうしようか悩んでいる。どんな顔をして行けばいいのか、そもそも出席するかどうかも考えねばならない。そのタイミングで親にも無職であることを伝えようかな。親戚の前で恥をかかせないようコッソリと伝えようかな。

そんな気苦労もニート特有なものだと思う。

  • 彼女への心証

今付き合っている彼女とは将来的に結婚をするつもりだ。しかし彼女はまだ学生なのでニートというもののクズさをよくわかっていない節がある。彼女が社会に出てしまったら、ニートだということの罪に気付きもしかして僕は捨てられるんじゃないかという不安がある。

まだ結婚の約束も出来ていないから大げさな話ではあるのだが、しかし実際結婚を申し込むとなるとやはり定職の有無は自分自身のプライドに関わる問題だ。

無職というのは聞こえも悪いし不要な軋轢を生む危険がある。彼女が働き始めたら一体どうなるのかという不安はとても大きい。

  • 友人らの心配

ありがたいことに数人の友人から「お前大丈夫か?」と声をかけてもらえている。

「全然大丈夫だよ」と言いたいのだがなかなか嘘はつけない。「なんとかやってるよ」というのが精一杯なところである。

大丈夫、と言うことはまだ多少キツイなあ。大丈夫じゃないからこんな状況に陥っているのだから。

しかしまあそんな彼らに対しても心配をかけたくないという思いがある。こんなクソみたいなニートに気を遣ってくれるのだからやはり友人というものは大切にしていきたい。

  • 世間体

ニートというのはやはり、世間の嫌われ者であることは間違いない。ニートをやっている、というと「あいつはダメなやつだ」という見えないレッテルを貼られることになる。

これは何が起きたというわけでもなく日々常々感じる「視線」のようなものであって、誰かに何か直接言われるわけでもないのに僕に重くのしかかってくる。

自意識過剰なのかもしれないが、保険頼りに生きていて社会に迷惑をかけているという自覚がある。僕なんて生産性のない人間だ。生産しているのは怠惰な生活とウンコだけ。下水にウンコを流すことくらいが僕と社会の関わりで、被害者面するのもアレだが社会から隔絶されているような気がする。

  • 住民税と保険料

住民税は前年の収入に準拠する。働いていた頃の収入をもとに計算されるので、無職になったとすると非常に重い負担になる。

保険も同様だ。僕の場合は前職の保険を任意継続しているが、毎月2万程とられる。

先述したが月の収入は17万の手当てのみとなるのでこれはかなりキツイ。今からニートになろうという人は少なくとも二、三ヶ月分の生活費は確保しておくべきだ。傷病手当だけではかなりキツイ生活を強いられる。

  • 諸々の手続き

傷病手当を受け取ろうという場合、失業保険の延期、厚生年金から国民年金への切り替え、健康保険の任意継続など諸々の複雑な手続きが必要となる。

鬱病の患者にこんなことまでやらせるのか、というほど面倒な作業だ。ニートになるのも簡単ではない。鬱病で起き上がるのも辛いなかハローワークや年金事務所まで赴いて何度も何度も氏名住所を書かなければならない。

やはり風当たりが厳しい。

手続きする元気もない中、彼女の協力があってなんとか重い腰を上げることができた。正直この子がいなかったら全てが面倒になって自分で命を絶っていたと思う。

ニートを今振り返る

まだ絶賛ニート中の僕ではあるが、一応就職活動を始めようと考えている今、ニート生活を振り返ってみる。

正直に言って、ニートは楽だ。働かないでいいし、毎日何時に起きるかなんて気にもしないで生活できる。なにかやらないといけないこともないし、気持ちの面ではそれなりの余裕が得られる。

しかしながらやはり、ニートならではの苦悩というものがあった。

これは人生において中々経験できることではないし、いい充電期間だったように思う。

まだ鬱が完治したとは言えないが、この一年は僕にとって非常に実りのある一年であった。働いていた時は仕事が全て、仕事の悩みが常に絶えない状態であった。今では一旦仕事というものに対して距離を置いたことで、一定の客観性を持って労働というものについて考えられるようになったと思う。

人生を消耗してまで働くことはない。そんな仕事なら辞めてしまえばいい。辞めるときには次を決めておけば良い。

仕事だけに一生を費やすのはバカらしい。仕事にやりがいを感じられればいいが、それよりもプライベートを何より大切にすべきだと今では心底思えている。

職歴に空白期間ができてしまうとか、現役でなくなってしまうとか、そんなことって意外となんとかなるもんだと思う。大したことじゃあない。

そう思えるようになったということが何よりもこの一年で得られた最も大きな財産だ。

ニートは楽だが、ニートはキツイ。仕事を辞めるということはかなりカロリーを使う大変なことだと思うけれど、しかしニートをやってこそ見えてくるものはあると思う。オススメはしないけれども、一度ニートを経験することで自分と向き合うチャンスを得られるのは保証する。

仕事と人生に疲れた人は是非、傷病手当や各種制度を利用して一旦休憩の期間を設けてみてほしい。

それでもやはり人生に希望が見えない時は、それから考えればいい。

今になって僕が思う本当のことは、そういうことだ。

男性学について

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男性学とは何か

男性学とは、文字通り男性についての学問である。

ジェンダー領域において、女性についての議論は常に意識され、十分とは言えずともそれなりに発展してきた。それは男尊女卑の歴史への反発からとも、文化水準の高まりが人々に知性をもたらしたからとも言える。

しかしその一方で、男性に焦点を当てたジェンダー論は長い間見過ごされてきた。 女性には女性の生きづらさが、男性には男性の生きづらさがある。

ならば女性のことだけではなく、今一度男性の生きづらさ、男性らしさとは何なのか見つめ直そう。 そうした動きから、男性学が生まれた。 歴史上培われた「男性らしさ」という偶像は、今や男性を苦しめる枷となっている場合がある。「自分らしさ」を追求することが美徳となりつつある現代において、僕たちは「らしさ」の呪縛から逃れられない。「男性らしさ」というものは、あまりにはやすぎる時代の変化に追い付けない。男性学は、そのギャップに深く切り込む。

恋愛の男性学

女性は守られるもの、男性は守るもの。

女性の自立を促進させようとする社会の動きがある一方で、こういった思想は未だ色濃く残っている。

それは人々の中だけではなく、社会システムとしての「常識」にまで存在している。女性が男性の戸籍に入籍する、という通例は正にそれを示している。この思想の由来が男性にあるか女性にあるかという問題は難しい。鶏が先か卵が先か、という水掛け論にしかならない。男性が示威のために女性を「所有」しようとしたのか、女性が保身のために「所有」されることを望んだのか。歴史を鑑みても、その答えはきっと見つかりはしない。

2000年代中ごろ、「草食系男子」という言葉が流行した。初めて命名された時期については諸説あるが、2006年の深澤真紀による日経ビジネスオンラインにおける記事が初めて使われたという説が主流である。深澤によると、その定義は

恋愛やセックスに「縁がない」わけではないのに「積極的」ではない、「肉」欲に淡々とした「草食男子」です。

(日経ビジネスオンライン U35 男子マーケティング図鑑 第5回 草食男子http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20061005/1... より抜粋)

とされている。また、1994年にギルマーティンが提唱した「シャイマン・シンドローム」という概念がある。こちらは端的に言えば「恥ずかしがり屋」な男性のことを示している。

草食系男子とシャイマン、これらはそもそも男性が積極的に女性に関わろうとする、という暗黙の前提から生まれた言葉である。 真の意味での男女平等が叫ばれている現代社会にも、いかに色濃く男性主導文化の名残が存在しているかがこのことからも見える。そして、そこに「意識のギャップ」のようなものが生まれつつあるからこそ、草食、シャイマンのような概念が流行しているのではないか。 また、インターネットの台頭、更に言えばe-mailの普及がそのギャップ認識を加速度的に人々に広める装置となったとも考えられる。e-mailは私たちに、敷居の低いコミュニケーションをもたらした。結果として恋愛までの道のりは簡略化され、恋愛自体が「常識」として人々に浸透していった。

現代の若者の間では、恋愛は半ば義務化しているといっていい。その証明として、アミューズメント産業や食品産業がクリスマスやバレンタインを「市場」として捉えていることは今更言うまでもない。 パートナーが居る、ということがある種のステータスとなり、反対にパートナーがいない人間はどこか欠陥しているという認識を持たれる。その現状を、当然のものとして人々が受け入れていることは言わば不気味なことだ。

男性学の課題は、問題を問題として認識することが第一の関門であると僕は思う。

そもそも「らしさ」というものについて男女間で認識を共有できていないという指摘もある。

女性は痩せ形のモデルに憧れることに対し、男性はふくよかな女性を好む。逆にボディビルダーに女性は強く反発するのに対し、男性はそれほど反発しない。

これは『女性学男性学 ジェンダー論入門』(伊藤公雄 樹村みのり 國信潤子共著 有斐閣 2002年)の一部要約である。

これが正しいとするならば、男女共に異性の視線よりも同性の価値観を重要視しているとも考えられる。男の話をする女は、大抵女に対してその話をしているのである。

異性との交際がステータスであり、価値観を同性寄りに設定するのであれば、それは同性に対する自己演出の一環、言わばパフォーマンスとしての恋愛である。異性との恋愛は、同性という観客に向けて繰り広げられるものなのだ。

現代の若者達は主に同性という社会からの承認を求めており、その手段として恋愛をとっている。そして、それを相互に確認し合うことでアイデンティティを獲得していくというプロセスを持っているのではないか。大きい話をするわけではないが、晩婚化や少子化の要因の一部として、あるいはこの意識の変化が影響しているのかもしれない。

まとめ

以上の全てを文脈として捉えると、男女の「生きづらさ」はむしろ同性同士の間に生まれているものであるように思える。互いに悪循環を構成し、真の意味で「自分らしさ」を求めようとする時代の流れにうまく対応できていない。僕らの根底に存在している男女不平等感がさらなる不平等を生み、ステータスやアクセサリーとしての恋愛を互いに求めていることになる。

当然、「自分らしさ」というものを求めることについての是非はそれぞれの意見があっていい。しかしそれを望む人々にとってこの問題は大きな壁として立ちはだかることは確かだ。

グローバル化が進み、文化の進化はさらに加速していく。その中でこの問題は取り残されてしまう。人々の認識を深めない限りは表立って何か事が起こることはない。解決すべきであるか、放置すべきであるか、安易な結論が出せる問題ではない。しかし、表面化しづらい問題こそが更なるうねりを生み出すのは世の常だ。「生きづらさ」に苦悩する僕ら自身が作り出す「生きづらさ」は、果たしてこれから僕らに何を齎すのであろうか。少なくとも僕は、この問題を認識する人々が少しでも増えることを望んでいる。

そしてなにより、なんかいい感じにかわいくて性格も良い女子高生が合法的にぼくの生きづらさを心身を持って解消してくれることを望む。

「とりあえず3年間は同じ会社に勤める」について、実行した現ニートが思うこと

なんで3年なんだろう

「社会人をとりあえず3年やるのは無駄」を全否定したい。 | OMGmag

「とりあえず3年間は社会人をやる」ということについて、議論はもう出尽くしているような気がする。いつの時代も賛否両論なのは分かりきっていることだし、「無駄な3年」かどうかなんてものは属人性が高い問題であるから結局のところ人によるというつまらない話になってしまう。

僕はそれよりも、何故「3年」なんだろうということにこそ興味を覚えた。「石の上にも三年」「三年寝太郎」などしばしば日本語には3年という期間が一つの区切りとして出てくる。奇しくも僕はちょうど3年という期間会社に勤め、自分なりに色々と考えたつもりで今ニートをやっている。果たして会社勤めの3年間は僕に何をもたらし、そしてそれは1年でも2年でも4年でもなく、3年でないといけないことだったのだろうか。

1. 1年ではいけない理由

人の人生における1年といえば、それなりに重みのある期間だと僕は感じる。例えば海外への留学で考えれば、2ヶ月や3ヶ月では短いなと思うけれど、1年といえば多くの人はそれなりだと感じるのではないだろうか。語学で言えば、専門的な会話は難しいかもしれないけれど、日常会話が出来るくらいは期待されて良い期間にも思う。では、仕事という意味では一年はどういった意味を持つのか。 僕は未経験のエンジニアとしてベンチャー企業に入社した。そう言ったことも踏まえ、社会人1年目で学んだことは、以下の3点が大きい。

  • エンジニアというものについての規範
  • 自社の業務についての理解
  • その会社が求める社会人としての規範

プログラミングというものについての知識については言うまでもない。そもそもプログラム言語やプログラミングについての知識がゼロの状態で入社したので、日々必死に学んでいった。特にエンジニアという仕事の性質上、常に最新の技術や情報に触れ、積極的に学び取り入れることはもはや義務であり唯一のやり続けなければならない仕事といっても過言ではない。しかし僕が1年目に学んだのは、プログラミングの技術云々というよりもこのような考え方こそがエンジニアという職業の規範であるという理解と納得が大きい。例えこれが営業であっても、事務であっても同じことだと思う。1年目で学ぶ最も大きな点は、その職種が持つべき規範への理解と納得である。少なくとも僕が1年目で学んだことの中では、これが最も身体に染み付いているものである。

次に、自社の業務に対する理解。この会社はどんな仕事をどのように得て、誰がどう仕事を行い誰からお金を得ているのか。今でも不思議に思うことがあるが、何故かこれは入社する前では見え難いものの一つである。就職活動を行っていた時にさんざ調べて分析した内容ではあるはずなのに、自社のことを友人から問われた時にハッキリと網羅的に答えられたのは1年が過ぎた頃だった。商流という言葉の上では説明が出来ていても、誰がどのような仕事をしているかというものはやはり実感を伴ってこそ理解できるものなのかもしれない。

そして、(その)会社が求める社会人としての規範。これは会社にもよるが、電話の出方一つから仕事への取り組み方、立場の違うもの同士の付き合い方など、やはり各々の会社に独特な文化があるのは当然のことだ。その文化が脈々と受け継がれてきたものなのか新興したものなのかはどうでもいいが、その会社に所属する以上求められる資質や態度、守るべきルールというものが存在する。新人研修から始まって、自分が後輩を持つようになるまで1年。その間に「この会社にはこういう文化がある」と後輩に説明を出来るよう、規範に対する理解を深めなければならない。別に共感はしなくてもいい。理解だけしておけば、少なくとも生きづらい状況を避けることは出来るし、後輩にそれを伝えることもできる。

この三点は端的に言って、今の自分の職種のこと,今の自分と会社の役割,今の自分の立ち居振る舞いのこと、である。こうして今振り返ってみれば、僕が社会人1年目で吸収できたのは、あくまで「今・自分」のことまでだった。周囲に対する考え方や、自身のこれまで、自社のこれからといった視点まではまだ獲得出来ていない。

僕の能力という尺度では、世間の言うことに同調するようで悔しいがやはり社会人1年目というのは'学生気分を抜けさせる期間'であったと言うわけだ。学生ではなくなったからといって、社会人であるとは言えないのは当然である。故に、1年ではいけないのだろう。少なくとも僕は、自分の実体験としてここまでは納得がいく。

2. 2年ではいけない理由

では、2年目では何が見えるようになっていったのだろう。なんとなくの印象では、段々と日々の仕事には慣れ、社内でのコミュニケーションも進み問題なく社会人と言えるようになってきたタームであるように見える。しかしそれは本当のことだろうか。

  • 業務への慣れ
  • 出世への欲

僕が2年目で得たのは上記二点である。 まず、業務への慣れ。これは先述した語学留学になぞらえれば、やはり日常会話程度はこなせるようになってきた段階であると言える。日々降りてくる仕事を、1年目で身につけた仕事の進め方に当てはめて一人で仕事を行えるようになってきた。当然後輩にも何かしらのアドバイスを出来るようになり、それなりに余裕が出てくる時期と言える、

そして二点目、出世への欲である。人は余裕が出てくると欲が出て、もっと良いものが欲しくなる。これは人類史が証明していることであるが、社会人にとってもそれは変わらない。入社当時から出世は出来るならばしたいと思っている人が大半だとは思うが、僕は日々に余裕が出来たこのころ、より具体的に出世への道を考え始めることができた。この先この会社にどう貢献すれば評価が得られるか、この会社に足りないものは何か、自分に足りないものは何か、どうそれを得るのか。欲というものは、少なからず未来を考えることと同じ意味を持つ。

僕は2年目にしてようやく、「周囲・会社・未来」を視野に入れることができた。では、より高い視点を得ることができたのに、何故2年ではいけなかったのか。それは僕の場合「視点は視点であって行動ではないから」ということに終始する。出世への欲から、僕はこれからの自分自身の成長について、上司に直談判をして共同作業で道筋を作らせて頂いた。しかしこの時はまだ、理想を持っただけの段階であり、その道筋を駆けられたわけではない。実行が伴わない想定など、なんの意味もない。やはり、僕は会社を辞めるのは2年目ではいけなかった。

3. なんで3年なんだろう

結果から言って、僕は鬱病になって三年一杯で会社を退職した。3年目は、2年目に立てた道筋を必死に駆ける年だった。夢に描いた出世という意味では、僕はこの3年目の一年で異例の2職階昇進を果たした。描いた道筋は困難極まるものであり、時に吐き胃を壊しながら実現した。上司の温情や会社の経営状況など、まあ僕以外にも要因があるとは言え、僕にとって3年目は、2年目の想定をようやく努力を持って「実現」させた年であると言える。僕の場合、スピードを持って成長出来たのはやはり3年目だったのである。文頭にあるよう世間で3年という期間が特別に扱われているのと鑑みるに、多くの人が似たような道を辿ってきたのではないだろうか。

僕の場合、3年目は結局のところ鬱病になっている。なぜ4年ではいけないのか、という話になると、「耐えられなかったから」としか答えられない。僕は今ニートになってしまっているし、世間の人から見れば僕の三年はハッピーエンドでは決してないと思う。今思えばなんであんな出世とかいう下らないことのために人生を摩耗させていたんだろうとか、それでもあの一年は自分としては珍しく頑張った経験だなあとか、それで精神壊れてちゃ成長とは言えないんじゃねえのとか、色々複雑な感情は出てくる。その辺りはまた別の話で。

結論

とりあえず、なんで3年なんだろう、という疑問に対しては僕は自分自身の経験を振り返ることでそれなりの納得を得た。もっとも、僕の3年間を1年で経験してしまう人も当然いるであろうし、もっとかかる人もいるのだと思う。けれども所謂凡人、特に優秀でもなく無能でもない(どちらかと言うと無能寄りかもしれない)フツーの人間と言われる人にとっては、これらのような経験を積む期間として平均して3年程度必要なのではないだろうか。 「とりあえず3年」という話に関しては、明確な根拠ではなく多くの人の経験論から語られている、慣習のようなものなのだと結論したい。その是非は色々あるとは思うし、上述のように個人差があるからなんとも言えないところだけれども、もし今働く期間について悩んでいる学生諸君や社会人1,2年目の人がいるとすれば、自分の人生を考えるための一助として僕の経験を役立ててもらえれば、僕はとても嬉しい。ついでに、ニートの僕にはもう見られない職場のOLのエッチな話や女子大生となんやかんやした話なんかをお礼として聞かせてくれればこの上ない。

何もしないクソニート、ということについて

「太陽フレア」 きょうGPSなど障害か | ホウドウキョク

太陽フレアGPSや通信機器に影響を及ぼす可能性があるらしい。これはつまりグーグルマップを頼りに都会に出てきた女子大生が一時的に路頭に迷う可能性があるということで、僕はその女子大生らを保護して匿う備えを急速に進めている。それと同時に今日の労働者時代の先輩と会う予定もキャンセルしてしまいたいワケだがなかなかそうもいかないのが困る。

ニートをやっていると、こんな風に昔の先輩や同僚、大学の友人から何か仕事の誘いを受けることがある。とてもありがたいことではあるが、僕は今ニートをやりたくてニートをしてあるため色好い返事は出来ていない。僕がニート期間である今、常に自分に問うていることは「お前が本当にやりたいことはなんだ」ということである。意識の高い人は大学時代に自分探しの旅をするという。僕はこの充電期間をもって自分が本当にやりたいことと絶対にやりたくないことを探し当てるつもりである。そのために今なにをしているかといえば、なにもしていない。勘違いしないで欲しいのは、すべきことがあるのに何もしていないのではない。「何もしない」ということが今僕のすべきことなのであり、僕はそう信じてそれに従っているのである。何かをしながら何をやりたいか考えると、どうしてもその今現在していることに考えが寄ってしまう。エンジニアだった僕はやはり次働くとすればまたエンジニアとしてなんだろうとどこかで考えてしまっているし、今仮にエンジニアとして誘ってくれている方々の仕事を手伝ってしまえばその道以外はより見え辛くなるだろうとも考えている。 何もしないということはなかなか難しい。しかし、なんとなくその場で思いついたような軽い気持ちや、必ず労働という形で社会に携わるべきだという自分自身のあやふやな認識、これらを取り除かずして再度仕事を始めてしまっては、僕は鬱で退職という同じ過ちを繰り返すことになる気がする。

仕事をしていたころ、PDCAサイクルというものについて会社の経営陣が口を酸っぱくして話していた。僕が今やっていることも結局のところ似たようなことをしているのだと思う。ミスをしてしまったから、次はどのようにすれば同じことを起こさないか考え実行する。PDCAサイクルなんて大仰なことを言っているけれど、人生においてそんなもの誰もがやってきていることだと思う。遊びでも恋愛でも学業でも友達付き合いでも、うまくいかないことがあれば相手を変えるなり自分を変えるなりやり方を変えるなり僕らは常に対策を講じ、また大仰な言葉を使えば僕らはいつも'カイゼン'してきたはずだ。ビジネスマンは当たり前のことをそれらしく言うのを好む。そう言った知識(僕からすれば知識ではなく嗜好な気もする)を名刺がわりにして、自分がビジネスマンであるとアピールしているのだろう。大切なのは言葉でも言い方でもなく、論理の理解と組み立て方であると僕は思う。話が逸れた。

他の人から見れば僕の今の状況は甘ったれなクソニートそのものではあるが、僕としてもまあ心の底ではそう自分のことを見ている。しかしクソニートをこれ以上拗らせるわけにいかないのは他の誰でもなく僕自身が最も痛切に考えていることであり、僕は自分自身をよく考えた末に「何もしない」という行動を選択したのである。何もしていない期間に、これがやりたい、と思いを重ねられたものこそ本当の気持ちであると今のところは考えている。悲しいことに、今はまだ「何もしない今を続けたい」と考えてしまってはいるが、それも一つの本当の気持ちかもしれない。いずれ社会がもっと僕に揺さぶりをかけてきて、ニートのままじゃ生きていけないと明確に突き付けられたとき、ならば僕はこれをしたいと確固たる意志を持って応えられるよう、自身に期待をしている。もしそれで、何もしたくないから限界まで何もしない、という答えが出たとしたら、僕はどこかで野垂れ死ぬだけだろう。その時は恐らく僕の考えは歪んでいて、産み落とされる時代か環境を間違えたのだと自己弁護をしてさっさと死ねばいい。

せめて人に迷惑はかけない形に納得が出来ればいいな。